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   『坊城俊樹の空飛ぶ俳句教室』     坊城俊樹著
坊城俊樹の空飛ぶ俳句教室   ―虚子没後50年、不肖のひ孫が過激に語る!―

大好評だったWEB企画を編集、加筆した単行本です。
俳壇の気鋭が、俳句の本質を直裁に語りました。正岡子規や高浜虚子、さらに夏目漱石などが近代俳句に与えた影響力を分かりやすく解説し、「客観写生」など言葉の真意を解き明かしました。


四六判並製 240頁    定価:本体1600円 ISBN978-4-7522-2055-8

 【著者略歴】
昭和32年7月15日東京都生。蟹座・血液型O型。曾祖父高濱虚子。祖父年尾のもとで俳句をはじめる。学習院大学卒業。平成元年、損害保険会社企業営業をへて、俳句協会へと転身。前職場では隠れ俳人であったため、誰しも俳句ができることを信じなかった転職。
俳壇若手のオピニヨン・リーダーのひとりで平成15年より2年間『NHK俳壇』の選者を務めたことから、全国にファンが多い。
坊城家は平安時代から和歌における歌会の講師家。趣味はハワイ育ちの波乗り。
俳誌「花鳥」編集長、日本伝統俳句協会理事、ホトトギス同人、句集に『零』『あめふらし』(日本伝統俳句協会)著書に『切り捨て御免』(朝日新聞社)『丑三つの厨のバナナ曲るなり』(リヨン社)などがある。
  
目次

  まえがき――俳句をなさる前にひとこと
  第一講座  はじめに
  第二講座  運命論「私を俳句につれてって」
  第三講座  俳句って?
  第四講座  定型について
  第五講座  季題と中上健次の宇宙
  第六講座  超季題
  第七講座  歳時記ごっつあんです
  第八講座  花鳥諷詠
  第九講座  自由律
  第十講座  立派な俳句
  第十一講座 俳句と川柳
  第十ニ講座 虚子と子規
  第十三講座 虚子と漱石
  第十四講座 (小説)「虹」
  第十五講座 虚子と戦争
  第十六講座 虚子のおしえからの主観と客観
  第十七講座 未来へ
  あとがき


 内容の一部 まえがきより

    ――俳句をなさる前にひとこと――

 俳句にかぎらないことなのですが、日本人はとても師系というものを尊重します。
 つまり、私はどこそこの誰の弟子でありまして、その誰の師匠は誰それでそのまた師匠は誰という偉い先生なのです、と。
 そういうふうにして、人脈と言いますか派閥と言いますか、どの世界でもその血統のようなものが珍重されます。
 もともと日本の歴史もそういう歴史であったのですね。天皇や公家の世界、武士の世界であってもその中の正統性を確信するためのシステムであったのはごぞんじのことと思います。俳諧の歴史などでも芭蕉あたりから宗匠の系列が商業的に成立するほどの正統性をもって発展しました。
 かく言う私も俳句の家に生まれ、虚子の一統であるという触れ込みで俳句の仕事をさせていただいてます。だから皆さんDNAが特別ですねとかおっしゃって、持ち上げてくだいますが、最近どうもむしろ正統的に劣っているのではないかと考えております。
 と言いますか、日本の正統性を紡いでゆく資質というのは、血統としてのそれより、いかに形式的・正統的に前のしきたりを継承してゆくかという、日本的才にであるのではなかということです。そのためには、むやみやたらのDNAなぞは不必要でありまして、より純粋な師弟の関係を邁進する心構えのようなものが必要なのではないかと思うのです。
 たとえば、
「あら坊城さん、ご覧なさい蕗の薹がでてますよ。この緑の息吹にやっと春の風が触れ
  る季節になったのねえ」
「はあ、そうですね。まだちょっと苦そうですが、雪を押し上げた生命力というのはな
  んともおいしそうですな。今晩はこれを天ぷらにして地酒といきますか」
「見てご覧なさい、山裾に放牧されている馬たちを。それはもう鬣をなびかせて生き生
  きと走り回っているわ。」
「いやあ本当にすばらしい躍動感ですね。あの一番大きい黒いのなんか馬刺しにしたら
  一番うまいでしょうなあ。けとばしは桜肉のことですから、蕗の薹をけとばして桜肉
  で一杯というのも風情がありますね」
 すると俳句の先生は無言で立ち去った。ということになってしまいます。
 このような師弟の美意識の差というものを、いかにあいまいにしながら継承してゆくかということは重大な問題なのです。
 それは俳句以前の問題なのですが、ことに俳句という世界で最も短い詩の世界においては、それを定型の器に盛り込む必要性から形式美の継承というものが必要になってくるのです。そこに働く感性は時によっては不必要であったり、場合によっては障害にさえなってくるのです。
 だからこその正統性を守るための師系でありまして。文芸としての俳句の特殊性はそこの重用にあると申しても過言ではないでしょう。
 でも、あまりに師系というものを尊重する結果、多くの悲喜劇が歴史を彩っております。
 そもそも芭蕉にしても西山宗因の談林派あるいは貞門派に対する師匠の北山季吟の姿勢を見て正風の確立へと邁進しました。しかし、その死後の弟子たちのさまざまな芭蕉模倣の結果、またあらたなる月並みな俳諧のどん底の時代へ戻っていったのです。
 ファッションとしての芭蕉しか継承できなかったのですね。凡才たちには天才の模倣は無理であったのです。そう、やがて現れる天明の天才、蕪村を待つことになります。
 虚子の時代もそうでした。生きている間はそれなりの、虚子山脈の動乱もございましたがそれはそれとして俳句の歴史には必然のようなものだったのでしょう。問題はやはりその死後のことです。
 やはり百花繚乱のごとく、その模倣あるいはアンチテーゼによって地殻変動が発生いたします。あるものは社会性を帯び、あるものは血統にこだわり、あるものは自主懐古路線を取り、あるものは俳句形式そのもののディコンストラクションを試みます。
 いわゆるファッションとしての虚子を模倣したのは血統派と懐古派であったのでしょう。最近の伝統派もここに属するものです。芭蕉時代の宗匠を生んだように、ここにも宗匠を生んだ気配があります。そのことについてはあらためてお話しますが、一つの巨星が墜ちますと歴史は繰り返すのです。しかし、それも歴史です。芭蕉ファッションが跋扈せねばその後天明期の俳壇復興はなかった。月並み宗匠が跋扈せねば明治期の子規はなかった。そして………。
 
 師系というものを尊重する日本の俳句。そこには一括りにできない功罪が隠されています。それは日本人の感受性そのものでもあり叙情そのものです。その師系が生んだ短詩はまったくの自由詩ではありません。それはこれからも俳句とともに影のように歩んでいることでしょう。
 同時にだからといって俳句の世界はがんじがらめにされていると思うのは短兵急です。俳句はその宿命によって、その定型という器によって窮屈な舞台でこそそびらに無限大の宇宙がひろがっているのです。
 それを俳句の余韻と言います。
 俳句は極楽の文学として救済を売ったりします。しかし、であればその師系の人しか救われないのでしょうか。となるとそれは一神教なのでしょうか。これから、この俳句のお話の中にはそれを問うていることが主体になってきます。俳句は万民のものであるという筆者の考え方から出発しております。
 この俳句教室はそうでないと、空を飛べないのです。
 空飛ぶ絨毯に乗って(ボーイング787ではありません)俳句をしてみたい皆様のもとへ着陸します。で、できましたら数人ずつ絨毯にお乗せして、師系で充満している俳句の世界を鳥瞰してみようと思うのです。
 おそらく俳句を知るにはそれが一番。だからといってすぐに俳句がうまくなるものでもありませんが、俳句がうまくなりたい方は二十一世紀、師系を超えた超師系であるこの教室を訪れてみてください。木戸銭はいりません。
 さあいらっしゃい。いらっしゃい。



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