「17音の小宇宙―田口麦彦の写真川柳」
 
第12回 2009/09/11


    
   水引いて誰を憎もう泥流す

 私が川柳の世界に踏み込むことになった一句。今から56年前の昭和28年6月26日に起こった大水害で、私の住む家が屋根まで水に浸かってしまった。
 昭和28年の雨期に西日本地域を襲った集中豪雨による被害である。
 なかでも阿蘇山を源流とした白川(しらかわ)に流域平均日雨量392ミリの豪雨で白川下流が氾濫した。この「6・26白川大水害」は死者行方不明者422人、流失全壊家屋2585戸(土木学会西部支部編『昭和28年西日本水害報告書』)というすさまじさであった。
 その時、私は21歳。多感な青年期であったのでその日のことは鮮明に記憶している。
 前年暮れに父を亡くした私たち一家は、母と私と弟一人、妹三人の六人家族であった。
 連日降り続く雨で、川の水位が上がり万一に備えて早めの夕食をすませたばかりであった。そこへ「堤防が切れたぞ」とどこからか声が聞こえ、すぐ窓を開けて見ると道路は川のようになっていた。
 庭に脱ぎ捨ててあった杉下駄が一足また一足と流れて行く。「早く仕度しなさい。」と母は私たちに声をかけ、手早く米、麦、味噌などの食糧をまとめて屋根裏の梁に縄でくくりつけ始めた。全く泳げない私は増える水嵩におじけておろおろするばかり。それでも何とか弟や妹の学用品を鞄に詰め込む手伝いをする。やがて半鐘が鳴りひびき、消防団の人が「早く非難してください。」と知らせにきた時、水は畳の上まできていた。
 「あんたは泳げないから、みんなを連れて行きなさい」と母から叱咤され、幼い妹一人を背負い、二人の妹の手を引いて堤の上の親戚の家に避難した。母は、そのあと弟を肩車に立ち泳ぎで陸に上がった。水か引いたのは三日後。泥土をスコップでかき出す毎日がはじまる。

  ひと雨で川は力を見せつける   吉岡 茂緒 (『川柳表現辞典』 飯塚書店、1999年)

(c)Mugihiko Taguchi

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