火の歳時記

NO90 平成211117




片山由美子

 
  【火の歳時記】第41回 焚火


  囲みたる焚火の主を誰も知らず       大類つとむ
 
 近ごろは、うっかり庭でごみを燃やそうものなら近所の人に通報されかねない。昔は学校に焼却炉があって、教室のごみも落葉もみな燃やしていたものだが、ダイオキシンが発生するというのでそれも禁じられている。焚火もやたらにできなくなっているらしい。建築現場や神社の境内に白い煙が上がっていた風景など過去のものとなってしまった。という訳で長いこと焚火にあたっていなかったのだが、いつだったか、真冬のシチリア島へ行ったとき、久々に懐かしい体験をした。なかなか来ない夕方のバスを待っていると、広場で焚火をしている人がいたのである。と言っても、誰かが火の番をしているという風でもなく、行きずりの人がしばらく手をかざしているだけだった。声をかけて入れてもらうというものでもなさそうだったので、近寄ってみた。少しばかりの木がくべられているだけだと思ったが、結構あたたかく、すぐに顔がほてってきた。

  一人退き二人よりくる焚火かな       久保田万太郎
  焚火離る誰にともなく会釈して       鈴木鷹夫


 こんな場面はよくありそうだが、実際のところ一度火に近寄ってしまうとなかなか離れがたいのが焚火というものである。正面が暖まったところで背中を火に向ける、すると今度は前が寒くなってくるのでまた向きを変え、などということを繰り返しているともはや立ち去ることができない。

  焚火かなし消えんとすれば育てられ     高浜虚子
  皆去りぬ焚火育てゝゐるうちに       高浜年尾


 こんなさびしさのただよう句に目がとまる。

  隆々と一流木の焚火かな          秋元不死男
  流木をねぎらふ焚火はじめけり       中原道夫
  夜焚火や闇より波の走り出づ        岡本 眸


 河原や浜辺でというのは焚火の定番だが、その中でつぎのような句にも出合う。

  軍港をあぶり出したる焚火かな       中村和弘

 焚火の句には心惹かれるものが多い。

  終りあることのさみしさ焚火また      片山由美子




 (c)yumiko katayama

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