神々の歳時記     小池淳一
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2009年10月20日
【29】大根の誕生日

 鳥取県八頭郡のある村ではかつて十月二十日を大根の誕生日と称していて、この日に大根の成長する音を聞くと死ぬ、と言っていた。これは奇妙な伝承であるが、実際はこの時期に大根畠に入ることを忌む感覚から生まれたものらしい。
 そのように考えられるのは、東北から中部地方にかけての各地にも同じように大根畠に入らぬようにと戒める言い伝えが多く残されており、これを大根の年取りとか、大根の年夜と呼んでいたからである。宮城県気仙沼では十月十日の晩には大根は唸りながらおがる(成長する)と言ったり、新潟県佐渡でもこの日に大根のはぜる音がすると言ったりもする。確かにこの時分になると畠の大根は急速に成長し、収穫に適するようになるのだが、その直前に畠の行くことをタブー視するのは、亥の子や十日夜といった収穫に関する行事とのつながりが考えられる。
 この日に秋の収穫をつかさどる神霊が現れ、畠はその祭の場となるという考えがかつてはあったのではないだろうか。やがてそれが変形して、禁忌の意識だけが残ったのかもしれない。
 ただし、秋の収穫祭の場として、とりわけ大根畠が選ばれていたことには、もう少し深く広い意味があるように思われる。
 桜田勝徳はそうした問題を「民俗としての大根」(『傳承文化』三号、一九六二年)で考察している。桜田は、このような大根の誕生日や年取りといった伝承の背景には、いくつかの大根ならではの性質があるのではないか、という。特にその白さはかつての庶民の生活のなかでは珍しいものではなかったか、と指摘する。餅もまたその白さに聖なる価値が感じられていただろうが、大根の方が白さという点ではまさっていたのであり、それが収穫の時期に急速に成長することに神秘を感じていたと考えられる。
 さらに、福岡県八女郡矢部村宮の尾の三月三日の天満宮の祭事―これを宮座と称していた―では、大根のけづりかけといって、皮付きの大根を輪切りにして、その皮をむきかけたものが供されることになっていた。これも大根の白さと神事との深いかかわりを想定させる。
 白い色は神聖なるものの表象であり、その来臨や祭儀を連想させる。大根はその白さから、民俗的な神観念と結びついていたことが推測できるのである。その一方で、畠作物としては古くから栽培され、改良が重ねられてきたことや、米など主食に加えて食料の量を増やすために用いられたり、多様な漬物に加工されて保存食とされていたことも重要であろう。
 『徒然草』の第六八段には、「よろずにいみじき薬」として毎朝、大根を二つずつ食べていた男がいたことを記している。ある時、この男が敵に襲われたときに、どこからともなく二人の兵(つわもの)が現れて撃退してくれた。どこの人か、と尋ねると、二人は長年、頼みにして食べている大根である、と答えたという。兼好法師は「深く信をいたしぬれば、かかる徳もありけるにこそ」と述べている。管見の範囲で類例はないのだが、中世にこうした話が生まれた背景にも大根の民俗が影響している可能性があるように思われる。
 


  畑大根皆肩出して月浴びぬ    川端茅舎




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