神々の歳時記     小池淳一  
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2010年2月15日
【38】年頭の仏教儀礼と鬼

 年の初めには、やがて営まれていく農作業の予祝の意味を持つ行事がさまざまに行われる。細長い日本列島各地での行事は、暦そのもののとの差も著しい。しかし、行事の目的やそこに込められている祈りは驚くほど似通っている場合がある。
 節分と言えば、豆まきをすぐに連想し、それを民俗学的に解釈すれば、豆の呪力によって季節の変わり目、一年の境の時間に魔を追い払うのだという説明がなされる場合が多い。しかしそれは、いささか表層的な考えではないか、という見解もある。近畿民俗学会の『大和の民俗』(一九五九年)の「鬼追い」の項目を担当した笹谷良造は、食物をわざわざ投げるという行為には、盆の施餓鬼と同じ意味があるのではないか、という。年の変わり目にも施しを求める精霊の類がやってくるのを追い払う意味で豆がまかれるので、鬼という表現は単純に過ぎるのかもしれない。
 豆を用いるのは節分の行事の特色であるが、そこにはさまざまな要素が見え隠れしている。近世の年中行事の様相をうかがう基本史料である「諸国風俗問状」とそれに対する各国からの回答にはそうした問題を考える手がかりを見出すことができる。阿波国からの回答には節分の際に用いた豆を取っておき、「後の日に、取り置きし豆を交せて打、其豆殻を焚、灰にしてふれば、油虫うせ候よしにて、此咒をいたし候」とあり、淡路国からの回答では豆を「一粒宛囲炉裏へ投込、猪の口・兎の口・蚤の口・蚊の口と唱て焼く。是は右の獣虫などを封る咒」と述べられている(『日本庶民生活資料集成(第九巻)』、一九六九年)。
 いずれも節分の豆が、鬼を追い払うだけではなく、農作業に害をおよぼす虫や獣を追い払う力を持っているという感覚をうかがうことができる。
 日本の最西端の沖縄県与那国島は、かつては三毛作が行われていたほど、稲作に適した島である。当然、それにまつわる行事も伝えられ、そのサイクルも早い。旧暦の十一月を過ぎれば田植が行われ、二月には稲につく虫を追い払うためのムヌン(物忌)が行われる。
 与那国島ではムヌンは四回行われる。一回目は旧暦二月の庚辛の日に行われるカドムヌンであり、二回目は三月の壬癸の日に行われるツァバムヌン、三回目は四月の庚辛の日に行われるフームヌン、そして最後は五月の吉日を選んで行うドゥムヌンである。
 二回目と四回目のムヌンには虫や鼠を実際に捕らえて海に流すことが注目される。特にツァバムヌンは虫を入れた舟を作り、海に流してしまう。その間、集落の人々は浜で寝たふりをして、舟が流された後、「夜が明けたよー」と言われて、起きあがるといい、この行為をスデという。これには祓い清めの意味があるとされた(池間栄三『与那国の歴史』、一九五九年、岩瀬博ほか編『与那国島の昔話』、一九八三年)。儀礼的に虫を追い払うのではなく、実際に虫を送り出し、それは夜を仮構しての作業なのであった。
 このムヌンには農作業のなかで害になる虫獣が、夜とも昼ともつかない境界の時間の中で追い払われるという意味を見出すことができる。こうした稲作の先進地帯での儀礼を念頭に近世の節分行事を改めて検討すると節分の豆には、虫送りや虫封じの意味があることが一層はっきりするように思われる。
 節分の豆は農耕儀礼のさまざま歴史を考える手がかりなのである。

 


   年の豆打って闇から父の声   市川栄次






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