神々の歳時記     小池淳一  
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2010年7月1日
【47】四万六千日と観音信仰

 特定の日に神仏に参詣すると通常の何倍もの結縁が可能になるという効率のよい観念がある。著名なものに関東では浅草寺の四万六千日、関西では四天王寺の千日参りが挙げられる。
 浅草寺の四万六千日は七月十日とされている。近世の風俗を詳細に記した『守貞謾稿(近世風俗志)』巻二十七には「昔は諸所観音に詣す。今は浅草にのみ大群詣す」と記されている。大都市江戸のなかで、庶民信仰の人気が浅草寺に集中していったらしいことがうかがえる。同書には、文化の頃(一八〇三〜一八)より、境内で赤いとうもろこしを売り出し、これを買って天井に挟むと、雷を免れるまじないになるという俗信があったことも記されている。
 四天王寺の千日参りは千日詣とも言われ、八月九日から十日の行事となっている。観音が開帳されている六時堂に参詣し、厄除けの札を受ける場合もある。近世には七月十日、十六日ともに千日参りと呼ばれていたという(野堀正雄「千日参り」『仏教行事歳時記(八月)万燈』、一九八九年)。
 こうした信仰のなかで日数に深い意味や理由はなく、ただ恩沢を一層多く受けられる日という感覚を大きな数で表現してきたようである。あるいは日常の時間の流れのなかで、特定の節目となる日があって、その日の天候や気象が一年あるいは数ヶ月の予兆である、という民俗的な思考がなにがしかの影響を与えているのかもしれない。
 このように一日の参詣で多くの恩沢を得ようとする感覚は、計算高いようであるが、一方でそれだけ観音に寄せる信仰が熱烈であることの表れともいえる。観音菩薩に対する信仰は古代から現代に至るまで連綿と続いている。全国至るところに観音は祀られ、その変幻自在な姿と多様な祈願を受け止める利益の広大さは地蔵と並んで日本人の生活の一部ともなっている。
 観音は古くからさまざまな神々と習合し、水神や龍神などと重なり合うかたちで人々に意識されることが多かった。琵琶湖の竹生島には女神が祀られているが、この女神は島に造立された観音像が光り輝くと、共に光を放ったという。また日光山の縁起においては、開山した勝道上人は千手観音の申し子として生まれたが、中禅寺湖で神の示現を願うと現れたのは白蛇であったとされている。さらに伊豆の走湯権現の、その名の通り、走るがごとくほとばしる湯の本地仏は千手観音であり、湯の沸き出す地底には赤と白の二匹の龍が横たわっているとされた。こうした縁起を分析した網野房子は、自然と重なり合った観音のイメージがその初期の段階の特徴であると指摘している(「観音イメージの変容─寺社縁起・説話における観音の諸相─」『社会人類学年報』一五、一九八九年)。
 網野は続けて、時代が下るにつれて観音のイメージが、自然そのものを反映した時には荒々しいものから、慈母を連想させる穏やかなものに変化していく、と述べている。それは自然の媒介をするよりも、より人間社会に観音が寄り添っていく過程を示唆しているのかもしれない。
 観音との濃厚な結縁を期待する四万六千日や千日参りは、観音信仰が都市化し、また多様な俗信をも従えていく、さらに新しい傾向なのかもしれない。そこには自然への畏敬や慈悲への期待といった簡明なことばではまとめきれない多種多様な願望が見いだせるのであり、そこに観音信仰の長い歴史のひとつの帰結を見いだすことができるだろう。

   風鈴に四万六千日の風   多田裕計

 

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