神々の歳時記     小池淳一  
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2010年7月15日
【48】ウナギの神と仏

 夏の土用の頃になるとウナギの話題で持ちきりとなる。どこの店で食べるか、調理方法、盛りつけ方、天然ものと養殖ものとの比較など、話の種には事欠かない。そのなかで歴史的な関心もあって、土用の丑の日にウナギを食べるというのがもてはやされるようになったのは、江戸時代に奇才、平賀源内が鰻屋に頼まれて考え出した結果だという解説がある。
 食文化も民俗学の重要な分野のひとつであるから、この解説の出処がどこなのか、事実なのか、伝説の類なのか、かねてから気にしているのだが、どうもはっきりしない。江戸時代に遡る文献にウナギと平賀源内の結びつきに関する記載があるのか、どうか、読者諸賢に御教示いただければ幸いである。
 夏の土用と記したのは、本来、土用は四季にあり、それぞれ立春、立夏、立秋、立冬の前の十八日間をさすからである。現代では夏の土用の、しかも丑の日だけが話題になることが多い。もともと各地の夏の土用には暑さで弱った体を休め、滋養のあるものを食べるという慣習があり、ウナギはその一つに過ぎない、という見方もできるだろう。
 古く中世には土用に蒜実(ニンニクの実)を水で呑む慣習があったことが記録されており(『蔗軒日録』文明十八(一四八六)年六月十一日条)、最近でも山梨県富士吉田市新倉では、精がつくものなら何でも良いとして、馬肉、豚肉などを食べることがあった(富士吉田市史編さん室『新倉の民俗』、一九八八年)。地方毎に違いはあれ、土用餅をはじめとする特別の食品が作られるのが民俗的な土用の行事であった。ウナギはそうした慣習のなかから長い年月をかけて選ばれた食材ということになるのかもしれない。
 ウナギが滋養のあることは古くから知られていたが、その一方でウナギを神仏の使い、あるいは神仏そのものとして崇め、決して食べないとする地域もあったことは注意しておかねばならない。仏教においては虚空蔵菩薩信仰のなかで、ウナギをお使いだと信じて食べないという言い伝えは各地にあった。虚空蔵菩薩は丑年の守護神であるから、そこから丑年生まれの者は生涯、ウナギを食べてはいけないという教えを頑なに奉じている場合も少なくなかった。
 さらに東北地方の一部ではウンナンとかウナン、あるいはウナという神が祀られている場合がある。この神に対する信仰に注目した早川孝太郎によると、虚空蔵菩薩への信仰と重なる場合も多いが、それだけでは説明できない要素もあるという。早川が昭和一二年の岩手県遠野で出会った按摩は、「ウンナンサマという神は、全て湧水を求めて祀るものだ」という古老からの言い伝えを聞き覚えていたという。水中または泥の中で生き、時には何年も生命を保っているウナギの性質に強い霊感を認めていたことがこうした神の形成の根底にあるものと思われる(早川孝太郎「鰻と水の神」『農と祭』、一九四二年、全集八巻)。そうした観念が、仏教の虚空蔵菩薩の信仰とも結びついて発展したと言えるだろう。
 いよいよ、夏の日差しが強くなる時期にさしかかって、こうした水の世界の霊妙な力を伝えるウナギと土用の関係について思いを致してみたい。さらに、ウナギに限らず、人々の愉しみとなっていた夏ならではの伝統的な地域の料理を思い起こしたいものである。

   土用入焼印押しし饅頭食ぶ   細見綾子

 

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