神々の歳時記     小池淳一  
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2010年8月1日
【49】旱と水神

 水は動物が生きていくために必要不可欠であるだけではなく、植物にとっても成長のためになくてはならない。あらゆる生命の根源が水とかかわっているのだが、どういうわけか、雨が降らず、動植物が炎天を仰ぎ、ひたすら水を乞う天候となる場合がある。
 とりわけ農業のさまざまな場面では水が欠かせない。かつての農村では雨乞いを集団で行う場合が多く、雨が降るように遠隔地の寺社に村を代表して参詣し、祈祷をしてもらうことは珍しくなかった。
 愛知県北設楽郡の設楽民俗研究会の雑誌『設楽』十七号(一九三〇年)には、この地方の雨乞いの様子が数多く報告されている。三輪村では明治十二、三年頃、旱が一ヶ月以上も続くようだと村境で盛んに念仏を行い、大数珠を回した。それでも雨が降らないと、近隣の集落の人々と一緒に明神山という山に鉦や太鼓を持って行き、そこで念仏をした、という(永江土岐次「奈根の雨乞」)。
 御殿村では、作手村から「おつぼ様」を迎えてきた。「おつぼ様」というのはタニシのことで、殻に青い苔がついた古い大きなものであった。これが五升入りの手桶に注連をはった中に一升ほど水を入れ、毎日その水を取り替えて祈願をしたという(西林喜久男「雨乞い祈念の行事」)。この「おつぼ様」は無事、雨が降るとお返ししなければならないが、その時には、必ず一つ増やして返すのが決まりとなっていた(岡田松三郎「設楽の雨乞」)。タニシは河川や水田に広く生息するが、どういうわけか、水神に類した存在あるいは水のシンボルと考えられることが多かったのである。
 北設楽郡あたりでは、白鳥山の山頂に登り、そこで踊りを踊って雨乞いをすることも盛んに行われた。山頂の近くにはヌタバと呼ばれる池とも沼ともつかない場所があり、いよいよ雨が降らない場合は、その水を汲み出すと雨になると言われていた。実際に何度も成功し、無事に降雨をみたことがあったという。
 旱が続くのは水をつかさどる神が、何らかのタタリを発しているのであり、それを慰めるか、時には、さらに水を乏しくし、神威の発現を期待することで、降雨を乞い願ったのである。周囲に水を撒いたり、火を焚くことで天候に影響を及ぼそうとする場合もあった。雨乞いは自然観察とそれに基づいた神霊への働きかけの二つの性質を帯びたものであった。
 滋賀県東近江市の永源寺町高木では、村の東南に「水神さん」と呼ばれる大きな森があり、その中には沼があって傍らには祠が設けられている。しかし、その祠の中には御神体はなく、沼の中に沈んでいるのだという。そして雨乞いをする場合には「水神さんにあがってもらう」と称して水の中から取り上げるのだという。その際に「水神さん」の御神体を見ることは固く禁じられており、暗闇の中で菰などに包んで引き上げることになっていた(高谷重夫『雨乞習俗の研究』、一九八二年)。
 この様相を調査した高谷重夫は、池や沼、あるいは淵や泉といった場所に本来、水神が意識されており、そうした神霊が宿るという水中の石や木を、雨乞いに際して引き上げ、丁寧に祀ろうとするのは自然な感情であると論じている。ふだんは意識されずに、姿を隠している存在が、人々の生活の危機にあたって出現するというのが、民俗における伝統的な神霊観であった。旱に際しての雨乞いは、臨時のものではあるが、そこにも古くからの神を祀る方法をうかがうことができるのであった。

   芋の葉のまだいとけなき旱かな   藤田湘子

 

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