神々の歳時記     小池淳一  
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2010年10月15日
【54】ふいごの祭り

 ふいごとは、鞴とか、吹子といった漢字をあてる。金属の精錬、加工などのために高温の火を作り出すために古くから用いられてきた道具である。旧暦の十一月八日は、そのふいごを用いる職人たちが、守護神を祭り、仕事を休む日とされている。
 農民と比べてこうした職人の祭りには馴染みが薄いようにも思われるが、実は農業にも密接に関わり、農耕具を調製したり、修理したりするのに、ふいごを扱う職人が活躍する機会は多かった。城下町などに鍛冶の名を冠した町名や小路名が残っていることも少なくないのは、かつてのふいごが生活のなかで身近なものであったことを示している。
 ただし、近代の急速な工業の発展はこうした金属を扱う古い職人の存在と伝承とをかき消してしまった。民俗研究上でもその重要性は認識されてはいるものの、中国地方を中心にその様相を調査、検討してきた石塚尊俊の一連の研究(「金屋の伝承」『鑪と刳舟』、一九九六年)を除くと、まとまったものはそれほど多くはない。以下、石塚の貴重な調査データと研究をもとに、ふいごをめぐる信仰について述べてみよう。
 このふいごの守護神については、大きく三つに分類できる。
 まず、火の神として普遍的な荒神を祀る場合がある。日常的に火を扱う鍛冶屋や鋳物師などが荒神を祀るのは、火のコントロールという側面から当然のように思われる。秋葉神や愛宕神を祀る場合があるのも、火のコントロールという面では共通する。不動明王を祀るというのも炎を背負う像容からの展開と考えられる。
 次に、俳諧の歳時記類では鍛冶に携わる人々は、京都の伏見稲荷を崇めているとして、その祭りは「お火焚」とか「ほたけ」などと呼ばれると紹介される場合が多い。その理由は謡曲「小鍛冶」によると京鍛冶の左近の氏の神が伏見稲荷であることによるとされている。ただし稲荷神が火の神としての性質だけを持っているわけではないのは周知のことであろう。
 第三に、中国山地のたたらが盛んであった地帯では金屋子神の信仰が顕著である。それは職人にとどまらず地域の氏神、産土神として祀られるようになっている場合もあった。金屋子ではなく、金山神社とか金谷神社となるとその分布はさらに広く、東日本にも見いだすことができる。
 金屋子神の信仰は島根県安来市広瀬町西比田の金屋子神社を本社とし、中世以来の歴史があることが確認されている。「鉄山秘書」とか「金屋子縁起抄」と題されたこの神に関する縁起も書き残されていて、その伝承から、この特異な神格の素性をうかがうことができるのである。
 また、そうした神格は断片的になりながらも、たたら師や鍛冶の間に禁忌や呪術として伝えられていた。とりわけ注目されるのが死の忌みとの関係である。「金屋子さんは血の忌は嫌うが死の忌は嫌わない」などといい、鉄がどうしても沸かない場合には「柱に死体を立てかければよい」とか、「くくりつけておくとよい」とまで言った。「血の忌」とは月経や出産をさし、妻がお産をした後は数日から一週間程度、たたらやふいごに近づかないようにしたという。
 その一方で高温高熱の火とそれを扱う者たちを守護する神がなぜ、死の忌みを嫌わないのかについては、はっきりとした理由はまだ解明されていない。ただ、それらが日常の、しかも農業に従事する生活の論理とは全く異なったものであることはおぼろげに理解できる。冷却すると全く形を変え、硬くまた鋭くなる金属を操る神は人間の死をも超越する力を持つ、と考えられていたのであろうか。すでにこうした金屋子神の伝承を知る古老たちも世を去り、この信仰が暗示する意味については火と死といった人類学的な広がりのなかで考えていかねばならないようである。

   職かへて愚かに酔へり鞴祭    太田勝彦




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