第6回 2010/02/16

  高濱虚子の100句を読む     坊城 俊樹




   或時は谷深く折る夏花かな   虚子     明治三十七年

 明治三十七年二月には日露戦争の開戦となる。
 俳人の中にも従軍したもの多しと聞く。虚子は三十一歳になった。松根東洋城と比叡山、鞍馬、琵琶湖などに遊んでいる。前年の「温泉百句」論争は勃発したものの、碧梧桐ともかわらぬ交友をしている。
 掲句は七月あたりの作と思われる。「夏花」とはこの時期僧侶が精進のため一室に籠もる夏安居に供える花のことをいう。
 なにも戦争だかと言って普段よりもねんごろにと関連づけることもないだろうが、僧の一年の修行の中でも重要なものであることは相違ない。

  むづかしき禅門出れば葛の花    虚子
  谷川を渡らじと誓ふ一夏かな   

 同じ月のこのような句にも籠もりの様子がよく出でいる。しかし、掲句の僧の気持ちにはたいていの安居の日常とは一線を画すものを感じる。
 「或時」とははたしてどのような時なのか。ここに人の生死を感じざるをえない。そして、あまりに無謀な仮説と前置きするが、日露戦争という日本が直面したもっとも危機感のある壮大な戦争を思わずはいられない。
 それを俳句に投影するには仮に「現実主義」、あるいは「写実主義」とでも呼んでおこう。

 また、碧梧桐との俳句論争における影響も考えずにはいられないのである。
 虚子はこのころ「俳話」と称して、俳論に近いものを書いていた。その中に「空想趣味」という言葉が出てくる。
 すなわち、道灌山で子規から「ホトトギス」の後継者になってほしいといわれ、ことわった時の感興。「夕顔」を目前にして子規は純粋写生を言ったが虚子は空想趣味ともとらえられる日本古来の感興をまた重視した。
 虚子がそれをことわったのは、単に自信がなかったからだ。しかし、この俳句観の相違点も重要であった。
 碧梧桐との「温泉百句」論争の俳句観もまた、虚子が空想趣味なのにたいして碧梧桐は子規的な全方向の写実主義なのだ。万葉的ロマンティークな写生にたいするリアリズム的な写生の違いかもしれない。
 しかし、掲句の場合は虚子にして新しい展開がある。
 仮に日露戦争で多大なる戦死者を出した現実がかぶっさっているとする。すると夏花が仏教という日本的な空想趣味だけでなく、或時は、その特別な或時は谷に深く入って折り取ってくる僧の弔うという清浄な心をリアルに写生している。
 虚子は空想と写実を写生するというふたつのものを獲得したのかもしれない。
 ここにおいて、虚子は碧梧桐を凌駕したかもしれない。
 
 同時に虚子が子規の純粋なる継承者ではなく、碧梧桐こそが精神の上では純粋の継承者になりえた日だったのかもしれない。しかし、そうであってもやはり維新の落とし子の子規はまた虚子を選ぶことになるのだろうが。
  

(c)Toshiki  bouzyou
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