第8回 2010/03/03

  高濱虚子の100句を読む     坊城 俊樹




   垣間見る好色者に草芳しき   虚子     


 明治三十九年三月十九日 「俳諧散心」とある。
 これはその第一回のときの投句で、この会は明治四十年まで四十一回を数えた。
 『喜寿艶』の自句自解によると、
「昔男を偲ばせるやうな好色者が、女の家の垣の外に立つてその隙間から中を覗いて居る。足許には匂やかな春草が生えて居る」
 好色者と言えば「好色一代男」を思わずにはおれない。世之介が三十歳のころの風景であろうか。これが、
 行水の女にほれる烏かな   虚子 明治三十八年
 と組み合わされて鑑賞されるとかなり危険なことになる。
 さて、掲句は『喜寿艶』という虚子喜寿のさいの艶めく俳句を自選した句集に入っているのだから、虚子の艶めく人生のエポックメーキング的な作品であることはまちがいない。
 この「俳諧散心」はいわゆる俳句会であるが、どうも碧梧桐の「俳句三昧」を意識しての結成であったようだ。
 而して、ここに松根東洋城なども交えた碧梧桐たちとの、あるいは新傾向の俳句との対立軸が鮮明になってくる。
 「散心」も「三昧」もともに仏教用語である。前者は心が散るわけであるから、散漫なる融通無碍といっていい。後者は何々三昧というように一心に集中してそればかりに熱中する。
 いわばまったく逆の意味合いの俳句会であり、碧梧桐側からすれば先に始まった「俳三昧」に対抗するつもりの命名であったと憤慨する。むろん虚子もそのつもりであったろう。
 実は、その後主要なる幹事であった東洋城と国民新聞の俳壇選者の件をめぐって対立し、東洋城がここを去ってゆくことになるのだが、虚子もこのころはなかなか脂ぎっている。
 とまれ、掲句のころの虚子の句とは写生の虚子というよりもっとロマンティックなる虚子といっていい。
 
  

(c)Toshiki  bouzyou
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