第14回 2010/04/13

  高濱虚子の100句を読む     坊城 俊樹




   春風や闘志いだきて丘に立つ     虚子 
                                    大正二年二月十一日

三田俳句会、東京芝浦

 いよいよ有名なる虚子の代表句といわれているもの。心情の吐露の句。
 もっとも、俳句としては虚子の作品の中でも異形なもの。むろん、写生俳句でもなければ後年の花鳥諷詠のそれとも異なる。
 前回の句の(霜降れば霜を楯とす法の城)はその心情を吐露するにしても、やはり俳句の骨格として、あるいは季題の有用性において正統的なものであった。
 しかし、これは違う。
  
 「春風」は「はるかぜ」と読むようだ。この句の場合「しゅんぷう」の方が雰囲気的に好きだ。「はるかぜ」では闘志がなまくらになってしまう。
 しかし春の風は「春風駘蕩」という言葉があるように、風がそよそよと吹いているような風景である。けっして、ピューピューと吹くのではない。
 しかし、作者はやはり春の烈風の意識は当然あったろう。むしろ「青嵐」に近い雰囲気ではなかったろうか。季題をけっしておろそかにしてはいけない虚子論としてはここに矛盾を感じる。
 やや脱線するが、春風を青春のそれととった場合はわからぬでもない。この句の出自は「三田俳句会」だから慶応の学生がいてそのためのアッピールと激励を込めた俳句であるとなればわかりやすい。(しかしその史実はつかめていない)

 掲句は、
「彼の『法の城』の句と共に現在の余の心の消息である。余は闘はうと思ってをる。闘志を抱いて春風の丘に立つ、句意は多言を要さぬことである」
 この二つの句は対になっている。ともに、心情がかなり濃厚に詠われている。虚子の句としてはかなり異質のものである。
 しかし、この時に出された席題が「春風」であった。実はこの句が意図的に爆発的に独立して出来たものではないようだ。この時の句会には三句の「春風」の句がある。ちょっと肩すかしをくってしまったようではないか。
 他の二つの句を見てみると、

  春風や枯れてかぼそき椢原     虚子
  春風に浅間の灰の降る日かな

 「椢・くぬぎ」の原の句については、「春風駘蕩といふやうな春の真盛りの時よりも、どこか寒さの残ってゐる頃の春風を作って見ようと思ひ立ち」としている。
 やはり、春の風というより、かつて子規とともに歩いた隅田川の回想の風景をここに、懐かしく、淋しい光景として再現している。
 「浅間」の句については、「今日は浅間の灰が降るといふのである。詳しくいへば、前後に春風の吹く何日かを連想せしめて、其中に今日は浅間の灰の降るといふ出来事があるといふのである」と述懐している。
 群馬の春の風はある日はまた浅間の灰を降らす。いつも春の風が吹いている日和とは限らない。ときに、北風にかわり肌寒い風が吹くこともある。

 このように見てみるならば、虚子のこの一連の春風の作品はいわゆる春の風の作品ではないことに気がつく。句意としてまちまちであるが、題としても春の風をたんなる季題として使っていない。
 現在の心情が一句目、子規とともに過ごした過去の追憶が二句目、それらを通じての春風の時の流れによる変遷が三句目となる。
 いずれにせよ、掲句は虚子としての決意表明であることに多言を要しない。
 一月の「法の霜」の句でほぼ固まった意志は、二月十一日において、すなわち建国記念日において完成する。もし、そこに学生たちや若者がいたならば、この三十八歳の壮年男子の臆面もない、はずかしいような絶叫はよほど見事であったとしか思えない。
 




 

(c)Toshiki  bouzyou



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