第16回 2010/05/04

  高濱虚子の100句を読む     坊城 俊樹




   この後の古墳の月日椿かな     虚子 
                  大正二年

 この句の制作月日はよくわかっていない。
 しかし、『五百句』においては大正二年の作で、春の虚子庵の句会に出されたものであることになっている。
 【一つ根に離れ浮く葉や春の水 虚子】という代表句と対になっいるところに興味がそそがれる。
 「一つ根」の句は虚子の大正期にはじまる客観写生時代の元として人口に膾炙されている。それにたいして掲句は客観描写の句に到達するいよいよ最終の句である。
 「下五字突然ならずやとの非難をした人が一二人あつた。併し致る處に古墳があり、到る處に椿がある鎌倉に住む身はさういふ不審を起す処が無かった」
 虚子が言うに、「椿かな」の下五がその上の古墳の話をしているのにあまりに唐突であると言われたらしい。たしかに、古墳が数多く存在する鎌倉としてもいきなり「椿」ときて「かな」で二段切れとなっている構造は奇怪だ。
 要するに上五と中七は鎌倉の月日。下五は椿の老木の月日を言いたいのであろう。
 「この」とは老木の椿、あるいはそこに混じる若い椿の花が咲いているその年の日をさしている。その時間をミクロ、古墳のその時期まで存在してきた時間をマクロとすれば、それらの取り合わせの句ともいえる。
 虚子はそういう句が好きである。
 明治から大正にかけて、多く大上段に構えてきた虚子の句。ここに来て、碧梧桐の活動なども見据えながらただ観念的であるそうした句にたいする「素面にもどる感情」が擡げてきたともいえる。
 虚子はそれを鎌倉の実態、すなわち叙景の句であるとして自己弁護した。その心はしかしそろそろそのような句でないもう一つの子規的な句を渇望している自分に気づいていたはずである。
 


 

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