第17回 2010/05/11

  高濱虚子の100句を読む     坊城 俊樹




   歌人祭らず俚人ただ祭る社あり     虚子 
                  大正二年 「人丸忌」

 実は先の句の前後にはにもう一つ印象的な句があつた。
 「人丸忌」を題材とした句である。
 「鎌倉に人丸社といふのがある。柿本人丸を祭ったものだといふことであるが其は今或人家の庭に取り込められてある。歌人祭らず俚人唯祭る事が人丸に於いても本望であるかの如く私には考へられるのである」
 歌人、柿本人麻呂のことである。歌人としての生涯は歴史的であるが、等身大の人麻呂へ虚子は思いを寄せている。
 これもまた、大時代的な作風と草の芽のような写実的俳句との過渡期の産物なのではなかろうか。
 柿本人麻呂は天武・持統のころの歌人。大舎人ともいわれ万葉集の代表的な歌人であることは周知の事実。
 それにたいして「俚人」という里の人のことである「俚」には卑しいという意味もある。名もない村に住む卑しき村人の一人として祭ってあることに虚子は感興をおぼえたのである。
 あるいは、その無名の人の家の敷地に取り込まれてひっそりとある人丸社の景色になんともいえないミクロな写生を感じた。そして、人麻呂もまた歌聖などとよばれるばかりでない近代にただ静かに眠りたい一村人だとの思いを馳せたのであろう。
 ところで、この句の季題はどうなっているのか。「祭る」というのを「祭り」としたいところだが、永続的に祭ってある社のことである。ゆえに、枕に「人丸忌」と前書きを持ってきたのであろう。
 この場合は「祀る」という雰囲気であって、本来の季節感はない。したがって「人丸忌」という春は陰暦三月一八日の忌日を季題として引用したのである。
 
  山邊の赤人が好き人丸忌    虚子  昭和十六年

 という句もある。
 ここでも虚子は歌聖人麻呂よりも、官僚として一般的な赤人が好きと言っている。そして赤人こそ和歌における叙景的な歌の祖であることを忘れない。
 万葉の和歌にたいする虚子のコンプレックスとは言わないが、俳句を写実的な叙景詩にもっていこうとする真摯なる気持ちはこのような作品たちにも反映されているのである。
 
 


 

(c)Toshiki  bouzyou
前へ  次へ  今週の高濱虚子  HOME