第23回 2010/06/22

  高濱虚子の100句を読む     坊城 俊樹




   君と我うそにほればや秋の暮     虚子 
                  明治三十九年九月十七日『喜寿艶』

 「貴方御夫婦になるのが怖いの。卑怯な人」とさげすむやうに言って「たった二十分間、貴方は旦那様で私が女房といふやうな心持でゐるといふ事に貴方は趣味は無いの」『お筆の一節』
 虚子の艶ということを考えると、虚子を知る上での多くの題材が出で来る。
 三十代の前半の虚子にはこのような修羅にどの程度魂を吸われていたのかはわからない。あくまで、この句は小説的な事実を写生的に叙している。つまり、本当のことであるかはわからない。
 晩年ともなれば、京都祇園の里春さんや、当時グラビアアイドルとでもいえるような初子さんなどをたいへん贔屓にしていた。
 伊藤柏翠が『虚子先生と艶』に書いてあるように、里春曰く、
「ただ艶つぽいと言ったって普通の人間のいうようなものと違って、先生には先生らしい風雅なあらゆる人とのお付き合いがあって、それが一種の艶を帯びているという場合もあるから」
 艶とは秋の暮れの男女の秘めた密事に限らず、多くの人間との、しかも風雅なる人間との接触によって深まるものであるようだ。
 「君と寝ようか、五千石とろか。もいや」
 「露は尾花と寝たといふ、尾花は露と寝ぬといふ、あれ寝たといふ寝ぬといふ、尾花が穂に出てあらはれた。馬鹿な尾花ね」
 寝たか寝ぬかは世間の些事。そうでもないのかもしれないのが娑婆であろうが、虚子はそれを艶という色彩でとらえた。
 つまり、虚子の文章や俳句はその裏側に艶というものが色彩を放っている。これが他人と異なることである。
 だから、虚子を表面からのみで批評することはできない。虚子には裏も表もあって深遠である。泥も被っていて普通の尺度では計れない。
 柏翠の言うところは、虚子の側近中の側近の言葉として真実である。
 馬鹿な男女の色恋沙汰がただの艶であるとするのは世間だ。しかし、虚子の色恋沙汰はそれそのものが色彩を帯びた流星のようになり、虹の橋ともなって天空を駆け巡る。そしてそれそのものが文芸で文学となってゆくのである。
 
 


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