第25回 2010/07/13

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   草摘みし今日の野いたみ夜雨来る     虚子 
                  大正二年

 毎日新聞社の『定本 高濱虚子全集』における大正時代の解説として、高濱年尾は次のように言う、
 「霜降れば霜を楯とす法の城    虚子
  春風や闘志いだきて丘に立つ
 虚子は新傾向の句が全国に拡がりつつあるのを見て、本来の伝統を守る俳句に立ち戻らなければならぬとして、文芸雑誌に変貌しつつある『ホトトギス』を、俳句の雑誌として立ち上がらんとした宣言のこの二句である。」
 大正初期の俳壇復活の契機は碧梧桐たちの新傾向を危惧したものであることは論をまたない。しかしこの二句は、年尾の言うような本来の正しい俳句というよりも一種の決意表明であって、プロパガンダである。
 また、本来の伝統と言っているが、それはすなわち、
「虚子は俳句といふものの伝統を今の場合、若しゆがめることありとすれば、子規の業績を受けついで来た自分の責任を、どのやうに正しく守って行けばよいのであるか、そこに熟慮すべき多くのものを考へたに違ひなかったと思ふ」
 つまり、ここで言う伝統とは、芭蕉蕪村など俳諧からも道筋である伝統ではない。子規という師匠から受け継いだ、子規本来の伝統とでも言おうか。
 業績としてそれらを継承した虚子は正統的継承者としてその伝統というマニフェストを実行せねばならなかった。
 文芸雑誌はいうならば、文芸総合誌である。今でこそ少なくなったが、小説や詩、ときにはアートやカルチャーを含む文芸・文学の商業誌である。
 それを、俳句の専門誌に立ち返ろうとする気風はまことにまっとうで気概のあることと言える。
 はたして、しかしこれらの句は正しい伝統の句であるかと言えば、そうではない。俳諧から受け継いできた俳諧味、滑稽、洒脱、そして蕪村のような幻想的写生などの滋味があるわけでもない。
 結社という暗黒なる閉鎖性のあるもののプロパガンダであり、感情的な、あるいは本来の虚子にある政策的な面に裏打ちされた檄文である。
 年尾は、しかし次のように言う、
「『五百句』の大正時代の虚子作品には、伝統の俳句としてのよい作品が多く取り上げられてある。
  一つ根に離れ浮く葉や春の水
  草摘みし今日の野いたみ夜雨来る
  濡縁にいづくとも無き落花かな
  提灯に落花の風の見ゆるかな
 大正二年のこれ等の作品には、明らかに虚子が正しい俳句の指導者としての誇高き作品と見ることが出来る」
 ここにおいての伝統とは、先の二句とは実は大いにニュアンスが異なるであろう。
 大正二年の句の作成月日が不明なのが多い。おそらくは、「霜」の句の発表を『ホトトギス』三月号とし、「春風」の句も二月十一日とすれば、三月かそれ以降の句から虚子としての正統的作品が始まったといえる。
 掲句を含むこれらの句は、虚子諷詠とでも呼べる世界がある。そして、写生俳句としての子規俳句から一歩転じた写生俳句と言える。
 虚子の俳句はここから写生時代に入ったわけである。それをつないだプロパガンダ俳句は特別作品であって。けっして、正しい伝統俳句とは異質のものだ。
 野原やその草たちの摘まれし後の本情というものが掲句の醍醐味とすれば、それはまさに客観写生へと至る虚子の真骨頂句であることは自明である。


(c)Toshiki  bouzyou
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