第27回 2010/08/03

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   鞦韆に抱きのせて沓に接吻す    虚子 
                 大正七年四月十六日 夫人俳句会、柏木かな女居

 今回は、本年七月の俳誌「風の道」記念大会での、小生の虚子の句に関する講演の抜粋から。内容をやや整理して述べてみる。
 この時は結社のご厚意により「虚子の肖像」を「虚子の艶」という内容を中心に浮かび上がらせようとした。
 虚子の艶とは、かつて川崎展宏氏が「虚子艶」という言葉であらわしているので、筆者の発見ということではない。ただ、虚子は生涯において多面性のある艶を俳句に展開した。
 虚子の艶とは、若い順から憧憬、嫉妬、苦痛、情愛、諦観、幻惑、情念、契約などの概念を経ている。
 なにやら、癌などによる死への宣告を受容する、精神医療の変遷に似ている。
 虚子はここで最終的に艶への受容を獲得する。そのひとつとしての掲句の存在は無視できないであろう。

 「虚子はこの年に四十五歳になります。
 この時にはもう子供がいるのですよ、たくさん。この「鞦韆」の句。すなわち虚子が四十五歳の時に、男盛りの時でありますけれど。
 虚子の句としては非常に不思議な句ですよね。だってぶらんこに抱き寄せて沓に接吻するって、ちょっと虚子はやりそうもない。日本にはこういう風景はあまりないでしょう。これ客観写生と言っている人がどうしたんだろうって。
 これはどうやら想像で創った句でしょうけれど、この句の特徴的なことは、婦人俳句会という所に出している。その参加者に真下真砂子さんという人がいて、これが長女ですね、そのころ結婚したのです。その結婚のお祝いの句会に出した兼題だと思います。
 鞦韆とは、これは日本的には平安朝のぶらんこの風習から採ったもの、または中国から採ったものですけれど、それを虚子が一つのストーリー仕立てにして真砂子のために贈答した句であるわけです。
 それは今度は娘に対する寵愛のようなものが、、この親としての愛という、そういう色香があります。
 唯ここにですねちょっと不思議な出来事が起こっておりまして、大正四年に娘を亡くすのですよ、小さい娘を。三歳にして「六」・ロクという名の娘を、六番目の子なんで六、四女なんですけれど。
 その子を三歳で亡くしたときに虚子は妻のいとさんに怒られるのですよ、「あなたは全然介護もしないで、抱きもしないで、最後は見捨てた」、と言って凄く虚子は妻に怒られる、それがすごくトラウマのようになっていくわけです。
 寿福寺という鎌倉のお寺に虚子のお墓がありますけれど、そのとなりに白童女という小さなお墓があるのが、それが六のお墓です。
 六は亡くなり、長女は幸福な結婚をした。
 この辺に一つの虚子の変遷がある。一つの人間が変っていくターニングポイントになっていきます。」
 虚子は生涯を通じての「艶」の句を、喜寿の年に『喜寿艶』昭和二十五年刊、という直筆・自選の句集にまとめる。むろん喜寿のときに刊行したものなので、七十七句を抜粋した。
 その艶はさまざまであるが、この大正の句の艶は、虚子にして父親としての艶とでも申すべきか。娘たちにたいする情愛、愛欲とでも申すべきか。
 しかし、その数年前には話のとおり四女を亡くす。そのトラウマが虚子をして、無常観への道の発端となってゆく。
 それを描いた写生文が「落葉降る下にて」です。やがて、小説としての「虹」「音楽は尚つづきをり」といった一連の無常観に裏付けされた文章となる。
 この句のような極楽の句の祝福の裏に、無常観をたたえた地獄の裏付けがあるということを感じるのは、筆者のあまりにもうがった見方であろうか。
 






(c)Toshiki  bouzyou
前へ 次へ   今週の高濱虚子  HOME