第29回 2010/08/24

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   紅さして寝冷の顔をつくろひぬ    虚子 
                 大正十四年

 この句も『喜寿艶』に掲載されている。

 資料としては、「ホトトギス」大正十五年の五月号の掲載の近詠としてしか記されていない。季題としては夏の季の通期のものであるから、この日時というものも限定されない。
 五月号であるから、編集時期からして単純に大正十五年の三月ころの俳句を入れたとしたと考えるのはいかがなものか。
 大正十五年の近詠としているが、それをわざわざ『年代順虚子全集』の大正十四年のところに挿入しているのでその年の五月の作句と考えたほうがよさそうである。
 そのころの虚子は、
五月十五日。夜発。大阪・高松・観音寺・松山・風早・五條・京都に遊ぶ。
 とある。
 五月以降、八月にかけてたいした旅行はしていない。作句数もこのあたりは低調で、忙しい日々を東京で送っていたのかもしれない。
 『喜寿艶』に掲載されているのだから、当時テレビやラジオの普及がないころ、絵や書籍でもっての疑似体験・想像とも思えないのである。
 自句自解では、
「女は寝冷をしたやうで鏡に向つても気分が引立たない。唇の色も冴えない。やがて紅をさしなどしてその顔をつくろつて見た」
 現実風景ととるほうが理にかなっているであろう。
 話をおもしろおかしくするつもりはないが、この時期のこのような風景が郷里の松山や風早(虚子の幼年時にいた居住地)における風景とは思えない。
 やはり、その後の大阪・奈良五條から京都へかけての日程における写生句であると思われるのである。
 いや、虚子の一人称の写生句となるとまたひと悶着であるから、それを他人の何某かの触媒によって作られた実写的な俳句であるとだけ言っておこう。
 
 いずれにしても、この女性のシチュエーションは玄人筋と考える。
 これが当時の若き素人筋の娘さんとなると、時代としてこれは明治憲法以降における、「五箇条のご誓文」および「教育勅語」に反するものとしてかなりややこしくなるので、これは粋筋であると断定したい。
 アンニュイな時間とあふれるような色香は、虚子の『喜寿艶』の中でも「とっぴん」である。ちなみにこれを現代の風景として、あるいは風俗の端緒としての映画の一場面としても十分にエロティックである。
 たしかに、虚子の謂う「花鳥諷詠」の提示の数年前の出来事であるとしても、ものすごい。
 花鳥諷詠はこのような人間の間の快楽や葛藤、愛憎や冷酷な模様なども含まれる。たしかにそれはそうだが、はたしてこの時代に虚子以外をして、その当時の女流俳人たちの激しい情念の句をしても秀逸の上質なエロスにまみれている。
 
 「この花魁は、朝ぼらけの光が差し込んでくる頃にやっと半裸であった胸乳をものうげに起こした。
 昨晩の余韻が鈍痛となって身体の芯にまだ残っている。しかし、頭の芯もまた重くけだるい冷えが後悔のようなものとして鈍く広がっている。
 彼女はゆっくりと、三面鏡の上布をひきあげると、はたしてそこに蒼ざめた自身の唇と、むさぼるような昨晩の瞳の余韻を見るのであった。もう、うんざり。
 それを見た男は、そっと耳に唇を近づけて囁く。紅を・・・・・・以下略」
                 平成版『還暦艶』より


 



(c)Toshiki  bouzyou
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