第34回 2010/10/05

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   一片の落花見送る静かな    虚子 
                 昭和二年四月

 『五百句』には四月としか書かれていないが、虚子のそのころの道程だと、四月九日に京都に着きその後十日ほど滞在している。その間に作句されたものである。
 金閣寺にも当初向かっている様子で、雨がぱらついていた。

  春雨の傘さしつれて金閣寺    虚子

 続いて比叡山のケーブルカーに乗って八瀬大原へと向かっている。なんでも、ケーブルカーから降りて登る坂道で駕籠を使ったらしく、支那人に
「女さへ歩くのに堂々たる男子が・・・」
 と揶揄されている。
 別段とくに疲れていたから乗ったのではなかろう。風流を遊んだ。現代も昔も駕籠を使い花鳥を諷詠するような風流というものは中国人にはわからないものだ。
 その後、嵐山へ行く。
「雑踏する電車に乗つて嵯峨で下りて、酔つぱらひのゐる中を吐月橋の袂まで歩いて、そこで嵐山を見渡した。少し花は過ぎてゐると思はれたが、それでも松の間にある花は風情があつた。」
 
 掲句のこの落花は四月九日あたりの嵐山のものと思われる。
 虚子をして代表句のひとつである。もっとも、虚子の七十年を超える俳句人生に代表句は多々ある。しかし、この句は虚子の最も好きなものの一つであろう。
 この旅には娘の宵子も同行している。二十歳くらい。
 宵子は駕籠には乗らなかったらしい。京都の俳人の田中王城も乗らなかった。ともに、まだ若い二人は乗らなかった。素十は乗ったらしい。
 代わりばんこに駕籠に乗ったようだが、この遊び心が楽しい。だからこそ、その後の嵯峨における「静心」が効いてくる。
 ザワザワとした叡山からの道中にいた支那人たちをくぐり抜けて来た。今も昔も、観光客と俳人たちはちょっとした一線がある。
 虚子は、その小さくて実は巨大な一線を越えてやって来た。そして、たった一片の花が中空をしっとりと舞う姿をとらえた。
 「静」と敢えて云うたのは訳がある。

 そこには、俳諧の大道を行く自信と、日本そのものを諷詠している畏怖とが混じり合った、日本人にしかわからない艶やかな自尊心に満ちた「しづやかさ」であった。
 つまり、此の句は日本人そのものであり、日本そのものなのである。




(c)Toshiki  bouzyou

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