第35回 2010/10/12

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   この庭の遅日の石のいつまでも    虚子 
                 昭和二年四月九日
        「龍安寺」

 この句は虚子の名著とされる『五百句』には掲載されていない。
 『五百句』は、昭和十二年六月七日、改造社版。虚子の第七句集である。
 この句は、『五百句時代』から引いてきた。この句集はもとは、『虚子句集』岩波書店版、昭和三十一年三月二十六日刊行を底本としたものである。

 『五百句』の句の総数はタイトルのように五百。
 『虚子句集』の総数は、五千五百六十六。これは、『五百句時代』の後の時代の『五百五十句時代』『六百句時代』『小諸時代』『六百五十句時代』などの総体であるためそれだけの数となる。
 また、すべて虚子の自選であることは、『五百句』と同じである。
  『五百句時代』はその冒頭の部分であるが、総句数は二千四百九十七句。同じ年代(明治二十四・五年〜昭和十年までの句)の『五百句』と比べてもかなり多い。
 時系列をさかのぼれば、『虚子句集』および『五百句時代』は虚子の晩年になって、『五百句』では洩れてしまった句を中心に、消失してはしのびない秀句を再び蘇らせようとした感がある。
 別の言い方をすれば、虚子として昭和十二年の壮年のころに厳選した句が『五百句』に収録された。昭和三十年代の虚子の大御所としての選において、過去には自選で気づかなかった老成した視線で認められた句が『五百句時代』に掲載されたと見てよかろう。(一説によると、この選句には虚子のみならず某結社の編集長がかかわっていたとの噂があるが、くわばらくわばら)
 
 はたして、この龍安寺での傑作が『五百句』に欠けていたとは。
 『五百句』をバイブルのように崇める伝統俳句派からすれば、ある意味衝撃を受けねばならない。
 もっとも、昭和九年版『新歳時記』虚子編によれば、この句はしんがりに載せられているから気に入っていないこともない。
 おもしろいのは、この「遅日」という季題のこの歳時記の説明。
「今迄短かつた日脚が、だんだん永くなり、日中のゆとりが出来かかつた気がして来る・・・」
 掲句の「ゆとり」というもの謂いのすごさ。それは、一年の四季の変遷としてのゆとりとともに、千年の龍安寺のゆとりと永遠を獲得していることである。
 そのゆとりは、昭和十二年の『五百句』の虚子にはまだ気づかされないものだったのかもしれぬ。
 
 平明で余韻のある、ふとすると見過ごしがちな句をこそ最高峰の句とした虚子本人ですら、見過ごしてしまった名句とはこの句のことなのである。
 



(c)Toshiki  bouzyou

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