第46回 2011/1/11

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   避暑宿の壁に貼りたる子供の絵     虚子
        昭和四年八月二十日。燈籠流し句会。片瀬、坊城探水別業。
           会者、探水、菫子、あふひ、たけし、吉人、立子。


 なんとも平易でやさしい句である。
 句意は説明するまでもないが、避暑にきた別荘の壁にそこの子供のかわいらしい絵が掛かっているということ。(宿も別業もここで別荘を意味する)
 
 実はこの別荘は筆者の本家筋であるところの別荘であった。
 その当主坊城俊良(ぼうじょうとしなが)は当時、伊勢神宮の宮司としての職にあり、虚子たちとの交友もすでにある。その所有になる片瀬江ノ島あたりの別荘での夏休みの俳句会であった。
 探水という俳号はその俊良のものと思われる。その姪っ子に菫子、本名は坊城延子が居た。筆者の祖母である。
 また、俊良の子には坊城俊民や坊城俊周なども居たが、この子たちはまだ小さく俳句はしていなかったと思われる。
 あふひは本田あふひのことで、彼女も坊城の流れをくむ親戚ということになる。むろん立子は星野立子のことで虚子の娘。いわば、高濱家と坊城家と星野家の夏休み親睦俳句会といったところであろうか。
 一時期は分家の吾が坊城家の者たちも本家やここにも頻繁に出入りしていたようで、その結果祖父の坊城俊賢(俊良の実弟)と従兄弟にあたる延子は結婚し、その子の俊厚が生まれ筆者が生まれることとなる。
 さて、この絵はいったい誰の絵かということになると、推測されるのは当時幼少から少年期のころであった、坊城俊民あるいは坊城俊厚のものではなかろうか。あっ、もう一人俊厚の双子の兄、俊友も居たはずだ。
 余談であるが、坊城の家の者はみな絵がうまい。こう言ったら失礼だが、高濱の一統はほとんどの者に絵のうまい者はいない。(かつて母の中子に鳥の絵を描いてもらったら、脚が四本あって、羽も付いていた。計六本である)
 かくなる私も絵はまあまあうまい。嘘であると思われる方は『丑三つの厨のバナナ曲るなり』という本をご覧いただきたい。そこのカットやイラストは凡て自前の絵である。
 毒舌家は本の中味よりそこにある絵の方が良かったと言うくらいであった。
 
 結局、燈籠流しは風が強く中止になったようだが、機転をきかした本田あふひが即席の燈籠をボール箱で作り、それを片瀬川に流したという。虚子はそれを「名案」と激賞している。
 ここにもまた、坊城家の優秀さが披瀝されているではないか。
 呵々大笑。


(c)Toshiki  bouzyou



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