第47回 2011/1/18

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   ツェツペリン飛び来し国の盆の月     虚子
        昭和四年八月十九日。

 風生電気局長就任、京童帰朝祝賀会。折からツェッペリン伯飛行船帝都に来る。丸ビル屋上にて望見後句会。会者、秋桜子、花蓑、風生、漾人、蚊杖、たけし、橙黄子、水竹居と十名。
 夕六時、末広にて宴。盆の月を見て又句会。

 富安風生の電気局長就任などの祝宴での句。
 風生は本職としても逓信省の次官まで行った人だから、道理で丸の内のホトトギス社あたりで祝宴となるわけだ。
 この時代に、帝都東京では当時最新鋭の飛行船のツェッペリンを見ようと、屋根や屋上に人々がむらがり、その数は三十万人を超えたということらしい。
 当時、独逸と日本は友好国であり、その科学技術は日本人にとっても驚異の的であったろう。
 それを作った人の名がツェッペリン伯爵。彼はドイツ飛行船技師で大飛行船時代を樹立した。日本で有名なシーボルトの孫とツェッペリン伯爵の娘が結婚して親戚関係になっていることでも有名。
日本ではツェッペリン伯号と呼んで親しまれたが、昭和十二年になぞの大爆発を起こし飛行船時代に終わりを告げる。
 折しも、虚子たちも当時一番高い丸ビルの屋上で近代最先端の兵器兼旅客機を見た。水竹居は三菱地所の社長だから、自社ビルの屋上で同席したのだから愉快である。
 
 その後、「末広」で宴会とあるが、当時の人形町末広は落語のメッカだから、そこではないかもしれない。丸の内か銀座あたりの別の店舗か。
 とまれ、ここで盆の月を見ながらしみじみと、飛行船がやって来た祖国の月を思うのもまた風流。
 しかし、筆者はここでツェッペリンの祖国の独逸の盆のころの月をも連想してしまった。同時に鴎外の恋人であり、『舞姫』の主人公であった、エリスことアンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトを想うのはまったく余分であるが。
 もっと言えば、一九七〇年代に活躍した、英国のレッドツェッペリンという世界的なロックバンドをも思わずにいられない。その有名なレコードジャケットにはツェッペリン号の最期の炎上写真が奢られている。
 虚子はこれらの、余分なことを曾孫が思っていると知ったらさぞやたまげることであろうが。
 

(c)Toshiki  bouzyou


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