第49回 2011/2/1

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   藪の穂の動く秋風見て居るか     虚子
          昭和四年十月十三日
          鎌倉俳句会。浄明寺、たかし庵

 この句の冒頭に、「たかしに」という言葉が付けられている。
 松本たかしは、宝生流シテ方能楽師の松本(ながし)の子息。名門の出であるが、幼少より身体が弱く能を断念する。
 高雅な作風で、美しい言葉の世界を紡ぎ出した。
 この句はたかしに対する贈答句のような形をとっている。とすると、ここのたかしの家における句会には本人が居なかったと想像される。
 十月十日の七宝会にも鎌倉浄明寺でたかし、あふひ、長らと句会を開いている。その三日後にもまた同所で句会を開いているのである。
 十月十八日の家庭俳句会、十一月一日の家庭俳句会、十一月十四日の七宝会でも同様である。たかし三昧といったところだ。
 このころの俳壇におけるたかしの存在は、川端茅舎、中村草田男など錚々たる面々の中でもひときわ輝いている。
 
  藪に立つ欅三本百舌鳥の秋  たかし

 新しい句風と平明にして高潔な志。このような句がたかしの本来のもの。虚子も朝鮮から帰ってきた後に、その口直しのようにたかしの句に触れたかったのではなかろうか。
 「藪」がここにまた出てくるが、この浄明寺にあるたかし邸のまわりには当時多くの藪に囲まれていたと想像される。
 その「藪」がキーワードになって、虚子とたかしの間に存問の句のやりとりがある。
 
 たかしがこの句会に出ていないのは、やはり所用というより体調の不全によるものか。入院をしていたかは知らぬが、自室で病臥していて女性がやって来るとやっと仰臥を解いていたこともしばしばであったとか。
 
  羅をゆるやかに着て崩れざる  たかし

 他人の写生句であってほしいのだが、たかしもそういう時に着物をゆるやかに着て応対をしていたという話もある。
 虚子はとにかくたかしを買っていた。
 本来ならば名門宝生流のシテになるべき人物が、端正な容姿をもてあますような高雅な俳句を生み出していたのも、虚子にとって期待でもあり憐憫でもある複雑なる情にかられたことであった。

 


(c)Toshiki  bouzyou

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