第53回 2011/3/1

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



「番外編」

   風が吹く仏来給ふけはひあり     虚子
          明治二十八年八月
          府下豊島郡下戸塚村四三四、古白旧居に移る。
          一日、鳴雪、五城、碧梧桐、森々招集、運座を開く


 虚子はまだ二十一歳。
 この年には漱石と出会ったり、子規が喀血したりと激動の日々。しかし「運座」という言い方には歴史を感じる。
 虚子はまだ子規の後継者たる自信が無かったころである。そんなとき、古白こと藤野古白が二十四歳の若さでピストル自殺してしまった。意識不明の後に死んだ。弾丸は頭の中に残っていたという。
 当年の四月のことであった。
 古白はやや偏狭、あるいは人嫌いの偏屈なところがあったようで、巷において人には言えないようなこともあったろう。無頼派であった。でないと、当時でもピストルは所持しない。
 しかし、それ以上に俳句の才能があった。

  今朝見れば淋しかりし夜の間の一葉かな    古白

 子規はこの句をして、明治二十四年の俳壇を震撼させた破天荒の句と評価していた。同時に虚子ら年少の者たちにも大いなる憧憬と驚愕を与えたであろう。

 ところで、掲句にも季題が無い。
 無いというより、見つからない。おそらくは「魂迎へ」すなわち、迎火、門火などのことであろう。
 月からしても盆・盂蘭盆のころのもので、虚子はそのころに亡くなった彼の旧居に移り住んだ。一種の弔い俳句会であったかもしれない。

 しかし、「仏」「来給ふ」だけでは、季題としては有効ではない。そのあたりを承知の上で「仏来給ふ」という造語季題を意識したのかもしれぬ。
 ここで、儀式としての盆の行事をやるより、仏が風となってやって来たという実感のほうがはるかにあったのだろう。
 なるほど、某かの歌ではないが「千の風に乗って」魂がやって来るとしたほうが、はるかに情のある句といえる。
 しかし、幼少にひ弱で、泣き虫であった虚子も、いくら親しかったにせよ、つい先日ピストル自殺した男の部屋に住み込むということはなかなか剛胆で洒脱なことである。
 孤独でほんとうは繊細な無頼派の男へのレクイエムであったからこそ。

 

(c)Toshiki  bouzyou
 
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