第57回 2011/3/29

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   たてかけてあたりものなき破魔矢かな   虚子
      昭和六年十一月六日
        週刊朝日新年号


 同日には、「家庭俳句会」が開催され、国技館に菊を観る。とある。
 掲句は正月のものであるから、本来十一月に作れるわけではないが、週刊誌の依頼だから、早めの月に作らざるを得なかったのであろう。
 実はこの日、

  櫛の歯をこぼれてかなし木の葉髪   虚子

を家庭俳句会に出している。こちらの方は、虚子の櫛か他人のものかは知らぬが、より写生的な句である。
 同日に趣向の異なる二つの句を得るところが虚子らしい。
 しかし、当年彼は五十七歳。現代の年齢よりはかなり老けていた雰囲気もあったろう。老成しているとでも言うか。
 現実の風景としての、老いを哀しむと同時に、来るべき慶事である正月へまた一つ齢を重ねてゆくという感慨が感じられる。
 掲句は床の間の風景であろうか、周囲の物がない。しんとした空間を詠っているが、句はそれだけに収まない。破魔矢という男子の武運長久の祝賀の願いと、鎌倉鶴岡八幡宮で渡されたかもしれぬこの矢の、年尾や友次郎らの家族たちへの思いというものも重なっている。
 また、この年には秋桜子の「ホトトギス」離脱などもあり、人生の栄枯盛衰をもまた重ねたものかもしれない。
 
  下向道持ちて居るもの破魔矢かな
  よく笑ふ女礼者や草の庵
  梅を持ちて破魔矢を持ちて往来かな

 なども同時に作られた。
 どう考えても、写生句としか思えない技量に眼を瞠らせるものがある。このあたりから、虚子の融通無碍なる境地が滲み出て来たようだ。
 ちなみに虚子の「破魔矢」の句は、

  破魔弓や重藤の弓取りの家   明治三十年
  男山仰ぎて受くる破魔矢かな   昭和十年
  和田塚に破魔矢持ちたる人立てり 同
  一壺あり破魔矢をさすにところを得  昭和十四年
  古壺にかたと音して破魔矢挿す   昭和二十三年
  蜘蛛がよく出る古家の破魔矢かな  昭和二十五年

 などがあるが、どれも高潔で立派な句が多い。


(c)Toshiki  bouzyou
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