第58回 2011/4/5

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   ダンサーの裸の上の裘     虚子
        昭和六年十二月十二日
        大阪朝日新聞の為に「満州十句」のうち
        ハルピン


 虚子は生涯で、五回朝鮮の旅に出ている。
 
 第一回・明治四十四年四月、赤木格堂と。
 第二回・同年六月。七月、小説「朝鮮」を「大阪毎日」「東京日日」に掲載。大正元年二月『朝鮮』刊行・実業之日本社
 第三回・大正十三年十月。朝鮮・満州へ。
 第四回・昭和四年五、六月。大連・奉天・長春・ハルピンへ。
 第五回・昭和十六年五月。朝鮮・満州へ。大連・新京・ハルピン・奉天・平壌・京城へ。 章子らとともに。

 掲句は昭和六年のものなので、おそらく昭和四年のハルピン行きの際の句の焼き直しと思われる。

 「私はハルピンの前夜、北満ホテルのカバレーでこの地の諸君とまとゐになつた。カバレーでは、夜が更けてからダンスがはじまつて、それは明け方まで行はれるのであつた。・略・諸国の領事も来れば、支那の嫖客も来るし、又日本人も来る。赤系のロシア人もたまには来る。最前から踊り狂ふ中に、少将の娘が居ないやうに思つてもの足りなく感じてをつたのであるが、ゐないのではなくゐたのであつた。」昭和四年六月六日
 虚子ら一行は、懇意にしていた現地のロシア人の少将の遺族のつてで、カバレー、すなわちキャバレーに行ったらしい。
 その中には少将の美貌の娘も踊り子、あるいは女給として働いていた。
 その娘が掲句のような衣装を纏っていたかは判然としないが、その娘は踊りの最中は虚子たちのことをほとんど無視していたという。
 そして、踊りが終わり、席を立って帰る際に虚子のほうをちょっと見て、軽く会釈をした。
 それを虚子は、「彼女は私の顔を見て軽く顎を下げた。私は彼女のプライドなやうすを此時却つて好もしく思つた」と言っている。

 虚子もまた一塊の男である。


(c)Toshiki  bouzyou


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