第63回 2011/5/10

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   鴨の嘴よりたらたらと春の泥     虚子
        昭和八年三月三日
        家庭俳句会。横浜、三渓園。



 この日の他の俳句を見てみる。『句日記』からによると、

  枯蓮の間より鴨のつづき立つ
  此湾を塞ぎて海苔の粗朶はあり
  海苔粗朶の沖の方にも人立てり
  湾の内浅瀬に立てる春の波

 この風景は、
 当時はかなり遠浅の海に面していた三渓園。その湾の果てにはそれを塞ぐように海苔の粗朶が続いている。
 その沖には人が立てるような浅瀬もあったのだろう。そこに立つ人はもくもくと海苔を摘む。湾のところどころの浅瀬には小さな春の波が立つ。
 枯れた蓮の葉や茎の間からは春の鴨がばたばたと飛翔する。まだ、寒い春の干潟。
 
 それにしても、この一羽の鴨の姿態は印象的だ。
 鴨の句を作ろうとすると、いつもこの句が脳裏に浮かぶ。鴨が嘴を水に突っ込んで何かを漁るとき、いつもカタカタと音を立てて水をこぼす。
 今の三渓園にも鴨は来るだろうが、この春の泥があるだろうか。干潟に暖められた泥の質感があるだろうか。
 単に、人工の湾となった現代の泥では春の泥にならない。「たらたら」という擬音語が効果的。泥でも水でもない、その中間の泥水。そして、ぬくい。鴨の体温と干潟の水温がそこにある。だから、留鳥の春の鴨であって、なんだかほっとする。
 ところで、この句碑が三渓園の大池のほとりにある。今や、海岸線からはうんと内陸にあるので、その池の鴨かと思う。そこからは、海も見えない。なんだか、少し淋しい。
 
 ちなみに、家庭俳句会だから星野立子も居た。
 その立子の命日がこの三月三日。偶然ではあるが、この日の長閑さが身にしむ。そして、この日は雛祭りの日。子煩悩で、特に女の子を可愛がった虚子の姿が見える。
 この家庭俳句会から多くの名句が出た。虚子のおだやかで、肩の力が抜けた写生句が多いためだろう。
 
 


(c)Toshiki  bouzyou






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