第64回 2011/5/17

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   帚木に影といふものありにけり     虚子
        昭和五年八月八日
        東大俳句会




 「帚木」は「帚草」の別名であるが、なんとも「ははきぎ」とした方が趣も余韻もある。
 歳時記では、理科の分類のような解説しか見ることができないが、本来のこの木の意味深長の成り立ちはどうしても頭を過ぎってしまう。
 信濃の国には、この木を遠くから見ると帚を立てたように見え、近寄るといつの間にか消えてしまうという伝説があったという。
 それをして、ある人の情にかられて、その人に近づくと、いつかその人も忽然と消えてしまうという伝説もある。逢えそうで、手の続かない恋の相手のよう。
 有名なところでは、『源氏物語』の「帚木」の巻。五十四帖の巻名の一つ。光源氏が頭中将らと、ある日の雑談で女性の品定めをする巻である。
 若い光源氏が、それに影響されて人妻の「空蝉」に横恋慕するようになるのはご承知のとおりだが、これもまた心や肉体を手に入れたいと思っても、その翌朝には煙のように消えてしまう情の話として、まさに「帚木」そのものである。
 
 しかし、すくなくとも虚子のこの句は源氏物語に感化され、それに追従し検証する句ではない。だがその「影」に着目したことは、その千年ほど前の、消えるべき「影」の話が頭の片隅に無かったとも言い切れない。
 「尋ねよれば消え失せてしまうという朦朧たる存在が影を持つ、その物自体よりも影のほうがいっそう実在的であるという不思議さ」 山本健吉
 「影」というものが、この句の場合「あり」という逆説的な実存となり、それを虚子が発見したことは大きい。
 それは、この千年間のいわば文学的常識を写生ということによって、逆転認知したことになる。そして、かつて影をこそ実在的とした帚木を、遂に本物の影を得たとする驚きは虚子の大発見と言ってよい。
 紫式部はやや困惑するであろうが、これが俳諧なのである。
 
  帚木に露のある間のなかりけり
  其のままの影がありけり帚草

 同日の句を見れば、その種明かしになる。そこには、あくまで写生で押し通そうとする虚子の意志が見える。



(c)Toshiki  bouzyou





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