第65回 2011/5/24

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   くはれもす八雲旧居の秋の蚊に     虚子
        昭和七年十月八日
        出雲松江。八雲旧居を訪ふ。


 城濠に沿う、武家屋敷をつらつらと歩いていると小泉八雲の旧居がこじんまりとある。その門を入ればすぐにこの小さな句碑に出会う。
 静かで暖かい間取り。さるすべりの木があったが、その時期は花は咲いていなかった。日本人よりも日本人らしい家。日本人よりも日本人らしい外人の旧居。

 先日、国際俳句協会会長の有馬朗人氏の講演を聴いた。子規とそれを取り巻く、東京帝国大学の教授陣の話。子規と外国文化の受容と批判に関する講義。
 子規が在籍中に東京帝大の教授陣でも有名なのは、日本文学担当のチェンバレン、ラフカディオハーンなど。
 チェンバレンは古事記やアイヌの研究などで和漢の文学を日本人に教えるという天才。しかし、結果として日本文化にたいして批判的な精神を持っていたという。
 その蔑視は、本人のゲルマン的な生い立ちや思想による。
 それにたいして、ハーンは、英文学の教授として、東京帝国大学の前身の帝国大学のころから、すなわち明治十九年にはアメリカを経由して赴任していた。
 日本大好き。やがて松山藩士の娘と婚姻する。父はアイルランド人、母はギリシャ人の子として生まれた男が、やがてたどりついた極東の島国。
 そのせいか、ハーンの日本文学への愛情は並大抵ではない。それは、日本的の源流と相似する、いわばケルト的。アイルランドはケルトの民族文化を父に持つハーンの源流であろう。アニミズムなどの理解は深い。
 チェンバレンが俳句などをエピグラム(機知や風刺の詩)程度にしか認識していなっかったのにたいし、ラフカディオハーンは日本文学そのものの中に自身を埋没させるほどの愛情を持て接したのであった。
 子規も虚子もそういう先達の日本文化研究の蓄積の上に開花した。

 掲句は虚子が秋の蚊に喰われもする。しかし、こういういきさつを聞いた上でこの句を読むと、ラフカディオハーンが自身の家で秋の蚊に喰われたと、ついつい錯覚してしまった。
 その意味で、さすが虚子。ここでハーンの愛を充分に感じた俳諧の発句を、日本一の外国人の帝大教授のために捧げたのであった。
 
 
 


(c)Toshiki  bouzyou






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