第66回 2011/5/31

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   神にませばまこと美はし那智の滝     虚子
        昭和八年四月十日
        南紀に遊ぶ。橙黄子東道。那智の滝。青岸渡寺。


 昭和八年四月に虚子ら一行は、彼の名瀑である那智の滝に、古えの人たちの幻と行幸随伴している。まさに、行幸と言うにふさわしい後鳥羽上皇の足跡をたどる旅でもあった。
 往きは、新宮からプロペラ船(現代のふつうのディーゼル船か)に乗って、熊野川をさかのぼる。帰りは、中辺路の山道を横切って田辺へ出た。
 そもそも熊野詣は古く、平安時代から盛んであった。

 「伊勢へ七たび熊野へ三度の」
 と手鞠唄にもあるように、伊勢神宮には七たび詣り、熊野には三たび詣ることが慣例されていた。
 上皇や天皇が詣るのも度々で、後鳥羽上皇をはじめ高僧なども、大辺路・中辺路などを幾度も詣でては祈願した。

 ところで、この句は『五百句』にもあるように、虚子の句の中でも史実を超えた代表句。特に吟行の旅における傑作といっていい。
 
  那智の瀧の流の末の美人茶屋      虚子

 同年の作で、喜寿のときに艶句ばかりを七十七句自薦した、『喜寿艶』に見える句。その自句自解で、
 「那智の瀧は美しい瀧であるが、其流の末に美人茶屋と呼ばれる茶屋がある。そこは美しい娘がゐたところから里人がさう呼び慣らはしたものであつて、今尚その名が残つて居る」
 滝の美しさもさることながら、茶屋の娘の美しさに気を配るあたり、なかなかお忙しいが、まことに虚子らしい。
 とまれ、那智の滝の美しさは女性に喩えるのは当然で、あの日本一の一条の滝の姿は大日如来の再現である。
 
 筆者も過去、大辺路・中辺路の旅をした。
 むろん、滝の下にある虚子のこの句の句碑を観、自身も句を作った。

  滝にまさば神を白しと思ふかな     俊樹
  岩座を後背として那智の滝

 本歌取りというほど高尚なものでもないが、虚子の句への尊厳を込めてというよりは、この滝の日本一の美しさと気高さにたいしての存問と思いたい。

 





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