第77回 2011/8/24

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   新涼の驚き貌に来りけり     虚子
        明治四十一年八月十四日
        蕪むし会。第七回。寒菊堂。

 面白い句であるものの、理解に苦しむところがある。
 「驚き貌」とはなんぞや。一般的には人々が新涼の気配に驚く貌であろうが、この「貌」は「がお」と読ませるらしい。
 となると、この新涼は新涼という擬人化されたもの自体の驚いた貌であると考えられる。新涼の驚いた貌とはなんぞや。
 新涼というのは概念である。概念そのものが驚いた貌を思うと、よく天気予報などで高気圧が真っ赤な貌をして怒っているような絵を使う。このようなものでなかろうか。この場合、その貌は涼しげなびっくりしたような貌がとなって、町を支配する。
 虚子の句もたまにはこんな戯画チックなものもあってよろしい。

  新涼や豆腐驚く唐辛子     前田普羅

 この句がなんとなく似ている。
 虚子の句よりわかりやすい。新涼の季節になっていよいよ食欲も増進するころ、冷や奴かなにかの豆腐自身が乗せられた唐辛子に驚いている。むろん、それを食べた人間もその辛さに驚くのであろうが。
 虚子もこの句を『進むべき俳句の道』の中で、同様の解釈をしている。

  秋立つや何に驚く陰陽師    蕪村

 その中で、虚子は類似の句としてとりあげている。しかも、この蕪村の句を普羅の句より一歩進んだ句として陰陽師が豆腐(隠れた食材として陰陽師豆腐という存在を暗示していはしまいか)に驚くほど、市井の人もまた豆腐の辛さに驚いたということを言っている。
 とにかく「驚く」この三つの句は、どれをとっても驚かされる。中でも虚子のそれは、明治の虚子の神仙体のながれをくむように、虚構と飛躍に充ち満ちた自由闊達の句として『五百句』にも収録されたのには意味がある。
 
  鎌倉を驚かしたる余寒あり   虚子 大正三年

 こんなのもあるが、これは普通の解釈にして鎌倉全体を描写したごくまっとうな写実の句に、驚くという主観の味付けをほどこした。大正三年のころには虚子もまた俳句に復活し、その王道回帰をしようとしていたのがよくわかる。




(c)Toshiki  bouzyou






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