第78回 2011/8/30

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   鴨の中の一つの鴨を見てゐたり    虚子
        昭和十一年一月二日
        武蔵大沢浄光寺。旭川歓迎会

『五百五十句』所蔵。五百五十句となっているが実際は五百八十八句が載っている。『五百句』が四十五年間にわたるのにたいして、これは昭和十一年から十五年までの短期間のものとなっている。
 非常に濃厚な句集といえる。
 虚子の六十三歳から六十七歳までの句。この間渡仏などをし、世界情勢の緊迫とともに虚子の活動もいよいよ円熟を増しつつあるといっていい。
 武蔵大沢浄光寺の場所は判然としないが、越谷のあたり、浅草から東武電車で大沢という駅で降りたあたりとなっている。
 
 この句は清崎敏郎の鑑賞があって、虚子の精神状態が空白で、無意識であり、ぼんやりとした自分の無心の状態であったとしている。
 それまでに無い、虚子の空白感というか無意味性が出ているひとつの大きな転換期の句としてとらえられる。
 「川を見るバナナの皮は手より落ち  虚子」は昭和九年の作であるから、ひょっとするとその句から始まる虚子の無意味性の出発点となっるものかもしれない。

 鴨の中のたったひとつの鴨をなんとなく見ている。
 この句がやはり代表句であることは、その新しい視点とともに、なんともゆるせない破調の調べのよさである。
 「……の中の……を見てをりぬ」など、一度聞いたら忘れられないフレーズであり、後年のさまざまな俳句にも出てくる。
 その嚆矢である句であることは間違いないが、それがゆえに鴨が群れている光景を俳句にしようとすると、いつの間にかこの句を口ずさんでいる自分に気付く。
 俳句とは、写生句であってもかようなリズムと歌唱性がいかに大切かを痛感させられるみごとな句として記憶にのこる。
 
 旭川とは皿井旭川のことで、岡山出身の医師。耳鼻科の権威であったという。年尾の芦屋の家の真迎えにあり、かねてから親交があった。筆者の母も幼少から可愛がられ、看護婦になったときは何より喜んでくれたとのことである。
 余談だが、その妻は女優の司 葉子の姉であったとも。

 





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