第79回 2011/9/6

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   古綿子著のみ著のまま鹿島立    虚子
        昭和十一年二月十六日。章子を伴ひ渡仏の途に上る。午後三時横浜解續箱根丸にて。
        −以下特別の附記なきものは総て箱根丸船中吟

 虚子はこの日にいよいよ渡仏の旅に発つ。
 横浜から出港したのだけれども、鹿島とは如何。「鹿島立」とは出港そのもののことをいう。しかし、ここには芭蕉の「鹿島紀行」すなわち、曾良と旅した鹿島詣の雰囲気もあってのことだったに違いない。
 着のみ着のまま、なのだからあわてて普段着で出て来た感じがするが、八十日間もの長旅なのだからむろんそれなりの用意をしていたはずだ。
 ただ、六女で末娘の章子を同伴したことでいくから気分も普段と変わらぬ気軽なものにはなっていた。
 十八日には、

  船室の吾子よく眠る寒牡丹    虚子
  この船に伴ひて行く春の月

 など、熊野灘を通過する風景も詠まれている。
 虚子は、友次郎のフランスにおける留学を視察する気持ちもあったろうが、俳句というものがいかに世界に受け入れられるのか、あるいは日本独自のものとして納得されるのか、これらを見聞する意志は固かったであろう。
 
 実際には、二月二十四日の、

  黒き斑のある鴎とぶ江の春 虚子

 あたりから、異国としての風景に出会う。
 そして、上海の市内に上陸する。そこで歓迎句会や宴なども催す。まだまだ、アジアの段階なのだが、朝鮮以外に遠路の旅を経験せず、初の欧米であるフランスへの旅の魁けとしてここらで先ずは俳句の試し斬りといったところだろうか。
 綿入れという、布子に綿が入ったような普段着でフランスへ向かう様はなかなか諧謔味があって愉快だ。
 それにつけて、恐らく帽子に洋装の章子のイントネーションもなかなか滑稽味があってまた愉快である。
 
 




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