第82回 2011/10/04

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   稲妻を踏みて跣足の女かな    虚子
        昭和十二年九月十一日
        二百二十日会。丸ビル集会室。

  二百二十日眼鏡が飛んで恐ろしや     虚子

 同日の句にこんなのもある。
 会の名称もかようなものなので、それに掛けて作られたと思われる。このころに颱風が接近しつつあったのであろう。
 しかし掲句はどうしても日本の女と思われない。少し前に渡仏した際に、中国から南シナ海やシンガポールを経由して、インドからアラビア海へと進んでいた。どうも、そのあたりの現地の浅黒い女の姿を回想している風がありはしまいか。
 「稲妻」という季題であれば、普通はあぜ道かなにかを歩む女だが、そうなると海岸べりを半裸で歩くミステリアスな女を想像してしまう。
 この想像癖はいかがなものかと訝るむきもあろうが、虚子の「渡仏日記」や「五百五十句」などに揚げられている南洋の句にはそのようなものが多く存在する。

 実はこの句、『喜寿艶』にある。
 虚子が喜寿のころ、七十七句を自選したものだが、その艶めいた句として農作業の女を登場させては少し残念である。
 仮に、現実風景はそうであっても、その光景を写生しつつ心は過去の女とだぶってみてもいい。
 余談だが、筆者の父の坊城俊厚は終戦前に乗っていた船が南洋を航海中魚雷によって撃沈し、泳いで岸につき九死に一生を得た。学習院の遠泳の授業の成果だったようだ。そこはクアラルンプールあたりだったようで、イギリス軍の捕虜となる。
 当時のイギリス軍は国際法にのっとって捕虜の扱いは丁寧であったようで、国内では葉っぱや根っこを食べていたのに、きちんとした食事が与えられていた。
 現地の女性が、それを運ぶ係で半裸の女がパンや肉、紅茶まで持ってきてくれたという。
 
 どうもその話が脳裏に焼き付いていたので、掲句の解釈もかようなものになったが、やはり妄想癖のたまものかもしれない。
 しかし、どうしても虚子が『喜寿艶』に入れたのは、なんらかの回想があって、しかも妖艶なる女の跣足姿であったと思うのだが・・・。



(c)Toshiki  bouzyou






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