第90回 2011/11/30

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   天地の間にほろと時雨かな    虚子
        昭和十七年十一月二十二日
        長泰寺に於ける花蓑追悼会に句を寄す。

 鈴木花蓑の追悼句会の句である。
 この年の十一月六日に死去。裁判所に勤務し、実直で正確な写生俳句をした人として知られる。また、ホトトギス黄金期の一角をになった俳人でもある。
 虚子の自句自解で、
 「天地の間にほろほろとこぼれた時雨、俳人のみこれを知る」とある。
 つまり、この天と地をつなぐ時雨といもののはかなさ。同時に、これを花蓑の一生として例えたものであったろう。
 こういう感覚は俳人のみが持つものであって、この句の「かな」という切れ字はむしろ「詠嘆詞」として解釈したほうがよさそうである。
 これは虚子のたぐいまれなる代表句であって、この句を祖として俳句に目覚めた者も多い。その虚子の宇宙というものがここに開花しているからである。
 
  泉石に魂入りし時雨かな     虚子

 この句も同日のもの。
 この句のほうが、よりわかりやすく且つ写生的であるから一般的にはこれを弔句としたいところだが、さすがに虚子の弔句は掲句のような巨大なものとして歴史に刻まれる。
 「間」は「あいだ」と読むのがふつうだが、「あわい」「はざま」と読むこともできる。昔の俳人たちは「あわい」「はざま」と読んだものも多かったようだが、虚子の性格からすればふつうに「あいだ」と読ませたかったのではなかろうか。
 洒落た言い回しは虚子の俳句にはあまり似合わない。
 とまれ、花蓑というホトトギス第一期の黄金時代を担った俳人にたいする虚子の弔句とはかように巨大且つ、心情を超えた何かの心に突き動かされた発句となった。 
 この「心」とはすなわち、季題や花鳥を動かしている天を司る神の意志のようなものなのかもしれぬ。
 
 

(c)Toshiki  bouzyou






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