第93回 2011/12/27

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   去年今年貫く棒の如きもの    虚子
        昭和二十五年十二月二十日
        新年放送

 ラジオの新年放送の俳句会を録音したときの作品。
 虚子の句を挙げるならば、この句につきるという人が多い。かつて、鎌倉の駅でこれが掛かっているのを川端康成が発見し、激賞したということでも知られる。
 化け物のような句である。
 
 たまさか、この原稿を書いている「今年」は東日本大震災があり、原発の事故も重なり世界の不況もあり激動の時代であり、その起点となる年であった。
 すなわち、来年の新年から見たならば「去年今年」は貫く棒の如きものではない。それは、この平成二十三年という年はある種断絶を織り込んだ稀有の年であったという見方によるからである。

 虚子は、この句で難しい季題の「去年今年」の解説をした。深見けん二が言うように、
 「虚子の日常生活を貫く信念であろう。しかも単なる人間個人の信念といつたものでなく、四時の運行する大きな宇宙存在の中に身を置くことを長年重ね深めることによってはじめて得られたもの」
 この指摘は重要である。これによって虚子の去年と今年は宇宙存在のスケールで一本の棒として連綿と続く。
 去年の次には、今年というまったく変化のない、棒や紐の如き連続時間が続く。そこに日常の自然や社会や人間もあらがうことの出来ない時間の経過がある。
 
 ただ、今年から見た去年は(もっともこの季題はあくまで今年という新年になってから過去を見るものであるから)、すなわち平成二十三年は過去とやや事情が異なった。
 これは、虚子が経験した昭和の戦争の時にも同じくらいの事情の異質性があったかもしれぬ。
 戦争と自然という人為的なものと地球運行の摂理との差異はあれども、もし虚子がこの平成二十三年に遭遇していたらはたしてこの「棒」をどういう風に諷詠していただろう。

 筆者はおそらく、同じようにこの句を作っていたと思う者である。
 海嘯や地震、天地争乱によって人々は阿鼻叫喚の事態に右往左往をするのだけれども、やがて自然はやさしく人々を包み込むという『俳句読本』に書かれていた虚子の観念はやはり現代でも同じなのではなかろうか。
 原子力という未曾有の事態にたいしても、やがてそれらも人々の懸命なる努力によってある一定の均衡に落ち着くのではないかと。
 そのような意味でもやはりこの句は化け物のようにでかいのである。




(c)Toshiki  bouzyou






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