第99回 2012/2/14

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   明易や花鳥諷詠南無阿弥陀    虚子
        昭和二十九年七月十九日
        稽古会第四回。下山。

 この「下山」とは、
 「今年は夏の稽古会を千葉県の鹿野山神野寺にもつて来て、昨今修しつつあるところでございます。只今は四日目の始まつたとこでございます。十三日から十九日迄、一週間つづく筈であります」(昭和二十九年七月十六日、鹿野山神野寺にて)『虚子消息』
 ということである。
 この当時、斉藤香村が六月に、前田普羅・寒川鼠骨が八月といったように俳人たちがばたばたと逝去してゆく。
 それが為というわけでもないだろうが、

  すぐ来いといふ子規の夢明易き     虚子

 なども同日の作となっている。虚子は死にそびれてしまったのであろう。
 掲句はだからといって「南無阿弥陀」と言っているわけでもない。ここには虚子の「花鳥諷詠」の道、それはもともと大乗仏教観にある天台宗のそれを規範とした虚子の俳句宇宙のことをしみじみと反芻した言葉としてとらえたい。
 だから「明易や」なのである。
 その時間にはさまざまな神や仏が故人とともに訪れる。虚子は死にぞこなった床でまんじりともせずにその事を考えている。
 「花鳥諷詠」という虚子の宗教をこの齢にしてあらためて考え、もろもろの森羅万象、山川草木に感謝をしているのである。

  虚子有情虚子忌非非情南無阿弥陀    俊樹

 この句は、それにたいしての存問であり返歌であった。
 虚子は有情の人。その人の忌日は非情では非ず。すなわちそれも有情のものであると。そして、この南無阿弥陀はむしろ虚子にたいする感謝の言葉として発した。
 「遠山に」から始まり、「大根の」で見識を得、掲句によってひとつの曼陀羅を描いた虚子の俳句がここに大円団を見ると言っていい。
 
 


 
(c)Toshiki  bouzyou






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