虚子伝来
 坊城俊樹 空飛ぶ俳句教室俳句教室           
       vol.17  2008/08/08  

 「続・俳句と川柳」

 川柳と俳句の成り立ちにおいて吟味している。

 とにかく人によく尋ねられるのは、俳句と川柳の相違である。これを簡単明瞭に正解を出せる俳人はそういないだろう。
 なぜならばそれほど現代の俳句は川柳に近づいているからである。
 俳句の定義は何かということになると、この読者も含めてある程度の説明はつく。すなわち、

○五七五の定型
○季語・季題
 とりあえずこんなところである。小学生でもわかるところのものであって、それより深い内容については専門の深さによって各々追求すればよろしい。
 ところが、川柳もまたこの二つの要素はあるにはある。それが故に双子のような類似な作品がそれぞれにあらわれてくる。
 俳人はともすると川柳の世界を軽く扱う。それが故に自身の俳句がどんどん陳腐に軽くなってゆく間に川柳人(本来は川柳子と言うべきところか、俳人に合わせてそう言わせていただく)たちは多くの努力をしている。
 私が今回において、このテーマを論ずる理由もそこにある。俳諧の発句たるものが自分たちだけの世界に閉じこもることで俳句作品が質的変貌をとげつつあるのではなかろうか。
 
 川柳としての要件は前回において明示した。
 それは技術的な側面が強い。しかし、その内容ということになると別の問題である。何をどのように詠うのかということだ。
 諷詠といういいかたが適切かどうかわからぬが、この何を詠うのかは俳句より一層、川柳の世界では問題となるはずだ。
 何故ならば、俳句の叙事詩たる景色を諷詠する「物性」が俳諧の歴史の中である程度確立し、短歌などとの差別化はすでに終了していると考えてもよろしいからである。
 同時にその写生的即物性は季題という、コアなキーワードの存在によってある程度の世界が表出する。つまり、風景を季題によって諷詠するということがスタンダードになっている。それ以外の俳句もむろんあるが、それが主体になっていないということは議論しつくされた感がある。
 しかし、川柳はその成り立ちからしても、発句のような日本の自然、国土、山河などにたいする存問、挨拶を主とするものよりもっと卑近である。というより、もっと人間のこと全般であるから、そこに時代や社会なども入り卑近どころか広範囲になるのではないだろうか。
 川柳、とくに現代の川柳というと「サラリーマン川柳」のように時代や社会性を帯びた内容、すなわち、その出来事、事件、社会風刺、家庭問題、教育問題、政治・宗教について、などを主たる眼目にするものが主体であると考えられている。
 しかし、それは川柳本来のあるべき姿なのだろうか。
 むろんそのような社会性を帯びたものも大きな主体の一部ではあるものの、それ以前の何かが欠落してやしないか。

 川柳というものは、柄井川柳という点者(選者)が四十歳のとき、宝暦七年(1757年)に始めた、前句付けの五七五のすがたをした短詩型の文芸である。
 その実作はともかく、点者として多くの江戸の庶民たちの名句を選句した結果が、厳正で公平なる内容で名高い『俳風柳多留』として後世に残っている。
 そこには『武玉川』という連句の前句付けの書から続く、江戸の軽妙で洒脱な五七五がふんだんにとりいれられていた。
 一般にはこれらを古川柳とよばれていて、風景としての花や鳥、山川草木なども取り入れられているが、その他に家族の愛、男女の恋、町の興業や遊びの数々などが主体となっている。
 古川柳とはそのような一見卑近である暮らしの草草のことや人情の奥深いところの大きなテーマを含んでいるといえる。
 だからこそ庶民の間に隆盛をきわめたのであって、当時の庶民に芭蕉とその系譜である俳諧を実践させるには多くの努力が必要であったのだろうか。とまれ、だからといって俳句と川柳に卑近の差があるものではない。むしろ、季題を主たる目的としない川柳の広範なる味を出すには多くのむずかしい庶民の感性が必要であったはずだ。

 「情」というものがなにしろ俳諧の中ですたれてしまった。
 情をあまり前面に押し出すものは、近代にはいってからの俳句においても敬遠されるものだった。しかるに、愛や恋、人情などの世界は五七五の世界でなく、五七五七七の短歌の世界だけのものになってしまったのだろうか。
 
 現代においてはその問題提起が俳句の側から出されることはあまりない。それは先に触れたように俳句形式の一定の結論が出たことによる。
 社会性のある俳句というものも現代に死滅したわけでなく、その意義はあるかもしれぬが、かつての新興俳句の時代の役目はもう終了した。
 社会、政治、グローバルスタンダードなどは今ではまったく俳句的な主体とはかけはなれている。しかし、問題はそれを構成する人間へのアプローチなのである。
 人間が自然の一部であると唱えてみても人間が作る詩かせ人間の心を掘り下げる仕事はまだ永遠に残っている。

 俳句でできないことは、川柳にお願いしたいのである。いや、俳句でもできるがその季題云々たる主題の脇役になってしまう名演技の俳優のことを頼みたいのである。
 社会、経済、近代科学、労働争議、宗教戦争などのことは他の詩形にまかせるとして、情のかたまりである人間の名演技を共に語りたいのである。
 
●質問・・・では、次の句を検証してみよう。すべて五七五の短詩型の句である。川柳か俳句か、あるいはその他のものかは白紙の状態で見ていただきたい。

 万緑を映すあなたの瞳かな
 ブロッコリーひとりっきりの緑色  
 風鈴の己が音に錆び鸚鵡また
 手をつけず折るは気高いかきつばた
 丸の内ビジネスマンの昼寝時
 カンガルーいつまで日永ボクシング
 春の夜をトルコへ帰る女優かな
 猫の恋ぶたれる時がわかれなり   
 縊れたる人形となり髪洗ふ
 夏雲の押し合つてゐる車窓かな   
 煙突のなんとつれない年のくれ
 行水をぽちやりぽちやりと嫁遣ひ   


 どれも、古今の俳人もしくは川柳人が作ったものだ、中には専門の人でないものもある。いったい、どれが俳人が作った物でどれが川柳人が作った物だろうか。
 単に「句」というわけだから、俳句か川柳かただの五七五なのか。そのあたりも、皆さんに判断していただきたいのである。
 
 はたして作品でもってそれがどのジャンルに属するのかは、皆さんの五七五にたいする知識や感性などにゆだねることになる。何も俳人だから佳き俳句を作っているとは限らない。はたしてそれが俳句になり得ているのかどうか。逆に川柳人だから俳句を作ってはいけないのだろうか。川柳の定義とはなんぞやにかかってくるかもしれない。


●答え・・・作品毎に作者名・作者の専門分野・まったくの私見だが作品評もしくは作品分類を述べてみた。

 万緑を映すあなたの瞳かな      稲畑廣太郎
 現代の伝統派の俳人。昭和・平成人のよくある類想というか、「あなた」の瞳の中にある万緑という概念には一般人の類想がある。その分、一般大衆・万人向けかも。いわゆる洒脱・諧謔とは異なるが軽妙でポップな連想俳句。

 ブロッコリーひとりっきりの緑色    やすみりえ
 現代の川柳作家。写実的で俳句としても通用する季題感性のある作品。古い川柳観とは異なる新しい感受性。古川柳の本来的であると錯覚されていた、穿ち風刺・社会性などにとらわれていない。情感のゆたかなる現代的な川柳。

 風鈴の己が音に錆び鸚鵡また     坊城俊樹
 現代の伝統派の俳人。難解が過ぎるか。感覚的だが写生的でなく、実在的で写実的である。唯我独尊で読み手に不親切。いわゆる伝統的な俳句とは遠く、現代俳句だが詩によりかかりすぎている。

 手をつけず折るは気高いかきつばた    柳多留26
 江戸期の川柳人。穿ちと見立ての見本のようなもの。先の、稲畑氏の作品に共通する軽妙な流れを感じる。「かきつばた」=美人という古来からの一般類想もある。いわゆる古川柳のライトな駄洒落の流れ。
 
 丸の内ビジネスマンの昼寝時     稲畑廣太郎
 現代の伝統派の俳人。現代的な平明・平易な写生、ひとつ間違うと平凡。名詞の多様による情感の排除。むしろ俳句的余韻はなくポスターのロゴのようなドライさ。これは俳性というより解説書・記事的な散文傾向にある。都会俳句フレーバーのミニコミ誌。

 カンガルーいつまで日永ボクシング    坊城俊樹
 現代の伝統派の俳人。主題がカンガルーという俳句的でないものを具象と抽象の境でとらえた。写生の微細さに欠ける。季題を入れているが脇役的でいわゆる伝統派の俳句的でない。アバンギャルドになりたくてなれない俳句的童謡。

 春の夜をトルコへ帰る女優かな      竹久夢二
 詩人的俳人。もしくは、絵師的俳人。小説的な情景としてとらえたが写実的ではない。季題も効果的な俳句だがとにかく虚無的で哀しい。好き嫌いが極小と極大になる、夢二的俳句としか言いようがない。あるいは俳句らしき台詞。

 猫の恋ぶたれる時がわかれなり    柳多留23
 江戸期の川柳人。現代では新味はない。理屈的で理性的で色褪せる傾向がある。風刺や穿ちの川柳からはやや遠い。何世紀が前なら新鮮だった作品。万人向けにわかりやすい。古川柳の流れだが、歴史を超えたド素人の作品。

 縊れたる人形となり髪洗ふ        坊城俊樹
 現代の伝統派の俳人。感覚と見立てにより、比喩の嫌味がある。季題の効果はあるがいわゆる写生的な俳句と遠い。どろどろとした抽象的な印象が現代俳句の範疇内といえるかが争点。不埒で意味不可解な俳句。

 夏雲の押し合つてゐる車窓かな   やすみりえ
 現代の川柳作家。川柳作家があえて俳句に挑戦した作品なので情感は排除されている。季題の効果による写生的風景。いわゆる伝統俳句という概念にとらわれいない。伝統俳人を脅かすの視点を持つ超情感俳句。

 煙突のなんとつれない年のくれ     竹久夢二
 詩人的俳人。もしくは、絵師的俳人。「つれない」という用語にこの人の特性があるが絵画的な写実性はある。季題と煙突との響きと余韻もまたある。俳句的であって川柳的であって、且つ二流の詩のような作品。夢二的、万太郎的俳句とも。

 行水をぽちやりぽちやりと嫁遣ひ    川傍柳1
 江戸期の川柳人。詩情という意味では庶民の感情がよく出る。嫉妬やいじめなどの日常性。路地や長屋を舞台とした、古川柳の中では頻繁に見られる卑近な題材だが至高の作。庶民の下世話な川柳の真骨頂。

「柳多留」「川傍柳」・・・古川柳の選集

 はたしてどの作品に興味を持たれただろうか。この分類こそ私の独断と偏見であって、川柳や俳句や詩との関連を、専門家や作品傾向で腑分けする難しさは容易に想像出来よう。

 とにかく、ジャンル分けが世界一好きな日本人である。
 ジャンルを分けていないと心配で仕方ない人たちである。
 本来はこの島国はそのような差別化・区別化の中で歴史をはぐくんできた人たちなのだから、五七五くんだりでもジャンルを分けることが人生の目標のような人が多い。
 世界の大きなアートの世界から俯瞰するのはちょっと気が引けるが、日本の文芸のジャンル分けにおいて川柳と俳句を俯瞰してみても罰は当たらないだろう。

 ところで、私は伝統的な俳句のジャンルに属している。
 だからこそ、このような五七五の再検証をしないと、ここ数十年において五七五の俳句としての伝統的な価値の堕落が始まると見ている。そして、腐敗と消滅である。
 むろんそれは俳句の川柳化が腐敗であると言っているのではない。俳句が川柳とも異なる単なる単純五七五化してしまうことである。
 むしろ、川柳の俳句化と俳句の川柳化は歴史としての再検証の時代に入っているのかもしれない。
 古俳諧から遠い俳句の記号化と抽象化。無味乾燥な写生化。文人と散文の影響による坩堝化。これらの俳諧の発句の堕落こそが単純五七五化の兆しなのかもしれぬ。

 それを救うには、今一度俳句(発句)以前の「句」としての作品として検証をすべきだ。

 簡単に言えば、単純にして明快な句で、且つ情念のある句。でも、虚子の謂う、「平明」なる句であるかは議論をせねばならないだろう。
 平明とはまことに難しい。人によって平明と晦渋、平凡と抽象などの尺度が異なり、その人の中においてもそれらを行ったり来たりしているからである。
 つまり、百万通りある平明は五七五の絶対要件であるとしても、十分条件ではない。すなわち、これからの五七五のヒントとは、平明以外に川柳あるいはその他の短詩型文学の情念をいかに研究するかということだ。
 
 本来的で良質なる川柳の持つ「艶」というキーワードこそがその遺伝子の一つである。

 虚子の『喜寿艶』(昭和25年・創元社)、という古今東西の艶めく名著がある。その内容は別の機会に述べたいと思うが、そこに溢れる良質な人情と艶がヒントとなろう。
 喜寿すなわち、七十七歳、すなわち虚子の艶めいていた俳句七十七句を自薦した直筆の句集である。

 美しき人や蚕飼の玉襷      虚子     明治三十四年
 行水の女にほれる烏かな            明治三十八年
 このような艶のある俳句が、延々と七十七句抜粋されている。
 しかし、ここに掲載された、多くの恋と艶、情と趣といったものは、下世話なるそれではない。川柳は川柳の垣根、俳句は俳句の垣根越しに他人の行水を覗くばかりが艶というものでもないだろう。

 『喜寿艶』は今から六十年も前に七十七歳の老人が編纂した偏った句集である。
 しかし、その自由奔放なる遊び心と美意識はいまの世の、特に堅物の俳人たちに捧げたい。
 そしてそこに、今まで触れてきた川柳と俳句の未来のコラボレーションへのヒントが見られたら幸甚である。
 
 五七五の無味乾燥で地球の温暖化のような未来を修正するためにも、この滴るような瑞々しい感性をそれぞれの立場が取り戻すことは我々の子孫たちへの義務なのかもしれぬ。


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