わかりやすい俳句添削教室
原 雅子 いしだ


 俳句の言葉はむずかしいという声をよく耳にします。
 さてそれは、俳句の短さによるものなのか、五七五の韻律なのか、もしくは季語が抱える問題なのでしょうか。
 俳句に限ったことではありませんが、言葉はしばしば暴走します。まして俳句という制約を受けながら、表現したい内容を、独りよがりに終わることなく読み手の共感を呼ぶような、どんな言葉として生かすことができるでしょう。作者と一緒に考えてみたいと思っています。

第56回 2013/06/14


《原句》①

  遍路旅終えて息つく丸の内 

 四国八十八ケ所を巡るお遍路の全行程はかなりの体力と時間を要します。
 本年、四国霊場開創千二百年を記念して、四月に東京で出開帳が行なわれました。ご本尊八十八体が一堂に揃って、短時間で巡礼が済んでしまうという、少々お手軽ですが足弱や多忙の身には有り難かったことでしょう。
 作者はその時の体験をお詠みになったそうです。ただし原句からはその事情は分かりません。四国での巡礼を終えて東京に戻って、ほっと安堵したというふうに読めます。これは前書を付けて事情を了解してもらうという類の句となります。特殊な状況の場合はそのような形も止むを得ないでしょうね。
 それにしても簡便に済んでしまったお遍路で「息つく」は大げさに思われます。むしろこの催し自体が面白いのですから、そちらを言っておきましょうか。作者は「丸の内でお砂場遍路を体験」と書いておいでですから、

《添削》

  砂踏んで出開帳なる遍路旅
  一日で済みしお砂場遍路かな


 いずれにしても前書は必要なようです。
 もう一つ、作者からのお訊ねで、原句の場合でも遍路は季語になるか、とのことですが、季語は詩歌の歴史の中で磨かれて、本意・本情を獲得していった言葉です。〈遍路〉も、これを春季と定めた先人の経験や知恵に基くもので、私たちはその約束のもとに、各時代によって幅を広げながら使ってきました。原句の場合も春という季節感を念頭にしながら味わうことに差つかえはないと考えます。




《原句》②

  花時と言ふゆゆしさや西行忌

 西行は芭蕉の敬慕した歌人。〈願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ〉という有名な歌があります。原句はこれを下敷きに作られたものでしょう。
 花の季節に西行の忌日を思うことに無理はないのですが、「ゆゆしさ」に問題がありそうです。この語は、すぐれている・素晴らしいとの意味もありますが、不吉とか恐ろしい意味にも使われます。つまりは際立っている訳ですが、ことごとしく響く言葉でしょう。ここは西行という古人に思いを寄せて、優しく詠いたい気がします。何であってもよいのですが、たとえば、

《添削》

  花時を心にかけし西行忌

 境涯の俳人石田波郷に次の句があります。
  ほしいまま旅したまひき西行忌
 旅の詩人であった西行を詠んでいますが、病床生活を送って旅もままならなかった波郷を思うとき、一層哀切さの増す句です。




《原句》

  花冷えや雨気(あまけ)を母の柩出づ

 作者のご質問に、「雨気の()()」という意味で「雨気()」としたけれど、意味が通じるでしょうかと書かれていました。〈霧を行く〉〈吹雪を行く〉などの表現もありますから、充分通用します。
 さてそこで、一句中に「花冷」「雨気」と、天候を示す語が二つ使われています。通常ならこれは障り合う用い方で、どちらか省くところですが、作者の心情としては、花冷のみならず雨催いである、というのが言いたかったことと推察します。であれば、二つを結びつける表現に。

《添削》

  花冷の雨気を母の柩出づ
  花冷のまして雨気や母逝けり





《原句》④

  托鉢か行列つくる葱坊主

 葱坊主の「坊主」からの連想でしょう。まるで托鉢に打ち揃ってゆく坊さん達のようだという見立ての一句。
 「行列」といえば充分わかりますので「つくる」は蛇足の部分です。そこだけ手直しして作者の意図を汲んでおくと、次のように。

《添削》

  托鉢の行列かとも葱坊主





《原句》⑤

 1 子供たち 万華鏡を のぞき楽し
 
2 飛行機からサンゴ礁美しき
 
3 若草山 野焼きを見て 楽しもう
 
4 夕空の 遥か彼方に 富士山

 初心の方の作品です。どのように学ぶべきかとのお訊ねでした。まず、一番基本的な俳句の約束ごとを申し上げますと、
 
五・七・五の定型
 
季語を入れる
 この大きな二要素とともに、実作上で〈切れ〉ということがあります。俳句が散文とは別の、詩としての力を持つための構造上ぜひとも考えていかなければならない点ですが、これは作句しながら身につけてゆきましょう。
 では原句について、
 1・3・4は五七五の間に一字ずつ空いていますがその必要はありません。間を空けず一行書き下しとします。分ち書きや字間空きの句がない訳ではありませんが、まず基本的な形を覚えていって下さい。
 次に、1・2・4は季語が入っていません。俳句はその成り立ちからいって、季節を表す季語の存在が約束になっています。豊かな連想と、読者との間の共感を生む季語というものを歳時記によって学んでほしいと思います。
 問題点をもう一つ、1・2は「楽し」「美しき」と、作者自身の感想を述べています。たった十七音の短い中で結論としての感想を入れるのではなく、どんなふうであったかだけを表現して、楽しい美しいという感想は読者に感じとってもらうものです。
 今回、季語の入っているのは3でした。季語は「野焼」。辞書では「野焼()」と送り仮名がありますが名詞の場合は通例送り仮名を入れずに使うことが多いです。
 原句は若草山ですから、野焼ではなく〈山焼〉とするべきですね。〈山火〉の語もあります。「楽しもう」は先述した「楽し」の感想とは違ったものですが、(なま)な言葉です。単純に言い換えますと、
  若草山焼くに心の(はや)りけり
ともなりますが、できれば眼前の状景を描くことを大事にしていってください。

《添削1》

  たちまちに若草山を焼く火かな

 「けり」も「かな」も〈切れ字〉です。先に述べた句の〈切れ〉は切れ字を使うことで効果的に発揮されます。
 原句4は風景を描いています。俳句の中で風景句は大きな比重を占めるもので、大事な柱だと思っています。ここでは季語がありません。この状景に季節が加わると恰幅のある豊かな景が生まれるのではないでしょうか。作者がどんな状況で富士を眺めたか、想像するしかないのですが、たとえば、

《添削2》

  夕がすみ空の彼方を富士の山

 「夕がすみ」は夕霞。春の季語です。原句では中七が「遙か彼方に」でしたが「遥か」「彼方」と同じような言葉が続きますから一方を省きます。下五はフジサンと四文字の字足らずなので、フジノヤマと五音に整えました。
 初心の方はます歳時記を一冊手元に置いて下さい。春夏秋冬新年の季語の解説と例句が載っていますから、その時々の季節のページを開いて、自分の気持ちに響くものから眼を通してゆけば良いのです。例句にも分かる句と分からない句があると思います。分からないもの、つまらないと感じるものはどんどん飛ばして、好きな句・共感する句を味わって下さい。習うより慣れろです。俳句のリズムや言葉の組み合わせ方など、そのうち自然に自分の身についてきます。


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 長らくお休みさせて頂いて済みませんでした。現在、これまで皆さんに投句していただいたものをまとめる作業に入っております。当分はそちらに専念いたします。
 いずれまた改めてお眼にかかります。それまでどうぞ皆様ご精進下さいませ。きっと腕を上げて私をあっと言わせて下さることでしょう。私も皆様から沢山のことを学ばせて頂きました。お礼申し上げます。

                (c)masako hara

              
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  原 雅子 (はら・まさこ)   

   1947年東京都生まれ
   加藤楸邨に師事。矢島渚男主宰「梟」同人。
   句集に『日夜』。共著『鑑賞女性俳句の世界・第四巻』
   角川俳句賞、現代俳句協会年度賞受賞。
   現代俳句協会々員、日本文藝家協会々員。

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