神々の歳時記     小池淳一
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2009年9月30日
【27】田の神の行方

 日本の民俗信仰のなかで、田の神はその中心といってもよい。稲作りを見守り、豊作へと導いてくれる存在として、田植の時期をはじめ、さまざまな機会に意識され、祀られる存在であった。
 なかでも複雑な様相を呈するのが、収穫から冬にかけての時期で、田の神としての役割を終えたのちにどういった扱いがなされるかが問題となる。田の作業が終わるとすっかり忘却されてしまうかのようだが、収穫した稲は、実った米だけではなく、藁も生活用具の原料として重要であり、草鞋や蓑など身に着けるものを作る他にも、儀礼に用いたり、神を迎えて祀る場をしつらえるのに使われたりした。そうした生活の諸側面を通して、農閑期であっても田の神は意識され続けたのである。
 その際、よく聞かれるのは、人びとの田仕事が終わりを迎えると、それを見守っていた田の神は、そのまま留まるのではなく、山へ向い、今度は山の神として人びとの暮らしを見守るのだという考えであった。東北地方では、こうした神の移動を「農神様が雪神様と交代する」と比較的広い範囲で言い伝えていた。秋のうちは山の頂に積もっていた雪が、やがて里にも降るようになる季節の推移をこうした表現でとらえたものである。農民の生活における詩情はこのようなさりげない言い方に注目することによって確認できるのである。
 そして、こうした山の神は、山仕事をする人びとの祀る山の神とは別に農民が想像し、生み出した神格ということができるだろう。里の村では、秋に餅をつき、それを神仏に供えて感謝することが節目になっていた。
 こうした戸外の季節の移り変わりを神観念に投影する感覚の一方で、山陰地方では田の神は秋から冬にかけて屋内に移ると考える感覚もあったことは、田の神の性格が一筋縄では理解できないことを示している。田の神は暗いところがお好きだといい、家々の夫婦の寝室であった納戸に迎え祀る慣行が民俗研究では注目を集めてきている。
 この問題を長年にわたって追究してきた石塚尊俊は、その軌跡を自身で「納戸神に始まって」(『女性司祭』、一九九四年)にまとめている。石塚によれば、その研究の端緒は、昭和十八年の鳥取県東伯郡矢送村での見聞だったという。そこで、この辺りでは納戸に一年中、トシトコさんを祀っており、正月になると大きなお飾りをし、鏡餅も御神酒もそこに供える、という話を聞いたのである。トシトコさんは歳神であり、新しい一年の生活を健やかであるよう守ってくれる神であろうが、その祀り場所が納戸だというのは奇妙なことであった。
 さらに隠岐島では広く、トシトコさんを田から家に迎え入れる、といっており、このことを「田の神迎え」と称していた。明らかに田の神は家の中に移動し、納戸という空間のなかで歳神へと変身するのであった。納戸はその家に暮らす人びとを守護する神霊が、冬になると宿る空間であり、神棚とは別に日本人の神観念を伝える場所なのであった。
 こうしてみると、田の神は農耕と不可分の存在であるとともに、生活の場に寄り添ってきた存在であることがわかる。秋の収穫をともに喜び、次の農作業の始まりまでをともに過ごす、というのが田の神にまつわる伝承のもうひとつのかたちであった。
 


  杵の先上げて田の神送りけり    土屋清女




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