神々の歳時記     小池淳一
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2009年10月10日
【28】亥の子と十日夜

 秋の収穫を祝う行事として、旧暦十月の亥の日に行われるのが亥の子で、十日十日に行われるのが十日夜(とおかんや)である。どちらも田仕事の終了とともに作物を育て、守ってきた神霊への感謝を表す行事である。ぼた餅を作ったり、臼や杵あるいは箕などに餅を供えたりしたものであった。農作業や米あるいは餅にかかわる道具を用いる点に、作物と生活に関する神霊への意識をうかがうことができる。
 よく、西日本では亥の子、東日本では十日夜という地域的な違いがあると言われるが、それはやや不正確で、関東の一部と東北地方に十日夜が比較的多く分布するのに対して亥の子と称する地域の方がはるかに広い。そして、行事の内容は共通する面が多いのに名称がどうして異なるものとなったのかは大きな問題である。
 亥の日に餅を食べると、長寿を得る、という考え方は早く平安時代の記録にも見え、おそらく中国大陸の行事あるいは信仰の影響が貴族社会に及んだものと推測されている。一方で、直接、生産に携わる生活のなかでも収穫を祝い、感謝する観念は古くからあった筈で、それがどのように呼ばれていたかは不明だが、そうした観念と亥の日の祝いとが結びついていったのであろう。
 亥の子や十日夜の行事として目立つのは、大地を叩いて回る慣習で、これは子どもたちの役割になっていた。宮本常一の整理によると、土を打つのに用いる道具は石に縄をつける場合と藁を堅く編んで棒状にしたものである場合に大別できるという。
 この石や藁の棒で大地を叩くことで土の精霊に活気を与える一種のまじないであると解釈されてきた。栃木県芳賀郡あたりでは、藁を堅く巻いたポージポという棒を男女の子どもたちが持ち、組を作り民家の庭先へ行き、
  ポージポアタレ 大麦アタレ
  小麦アタレ 三角バッタノソバアタレ
 と大声で叫びながら土を打ちならしたという。家々ではこうした子どもたちに菓子や果物を用意しておいてもてなした(宮本常一「亥の子行事―刈上祭―」一九四四年、『宮本常一著作集(第一〇巻)』所収)。大麦や小麦、蕎麦といった畑作物の名も挙げることから、稲作だけに限定されない農耕の感謝と期待とを感じ取ることができる。
 宮本常一は、日本各地でこれほど盛んな亥の子行事が近畿や中国地方で行わない村があることに注目している。宮本によれば、浄土真宗を信仰している地域では、亥の子行事が希薄もしくは行われない場合が多く、それは真宗の最大の行事のひとつ報恩講が同じ時期に行われるためではないか、とする。浄土真宗は一般に民俗的な行事や儀礼に冷淡であり、とりわけ報恩講と時期が近接する亥の子行事を消し去ることになった、というわけである。
 しかし、亥の子の感覚は完全に忘れ去られてしまったわけではなく、報恩講の行事内容を詳細にみていくならば、収穫祭の要素が見え隠れしていることも確かである。秋の収穫の喜びや感謝の感情はさまざまなかたちで行事を生み出してきたのだとも言えるだろう。
 


  亥の子餅搗かねば罪を負ふごとし   丸山渓風子




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