神々の歳時記     小池淳一
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2009年10月30日
【30】案山子の名前とかたち

 秋が深まり、田畑の収穫も終わりを迎えると案山子もその役目を終えることになる。晩夏あたりから田畑の稔りをうかがう鳥や動物たちを脅し、遠ざけるために活躍していた案山子の仕事も一段落というわけである。
 案山子は古くは「嗅がし」であり、毛髪や獣の肉を焼いてその匂いによって鳥獣の侵入を防ぐものであっただろうというのが民俗学の見解である。鳥獣を追い払えばいいのだから、オドシというのも案山子の古い呼称として用いられてきたことは容易に理解できるだろう。火や煙を嫌う習性を利用していたことの名残で、案山子にあたるものを長野県小県郡ではトボシと呼んでいた。藁を束ねたものをいぶして鳥を脅したのだという。沖縄県国頭地方では、猪を追うのに同様のものを用い、ピーナー(火縄)と呼んでいた。
 『古事記』の上巻に案山子は、久延比古(くえびこ)という名で登場するが、すぐに「所謂久延比古は今には山田のそほどぞ」と注されていている。ソホドの語義はあきらかではないが、水の流れを利用して音を絶え間なく発して鳥や獣を追う仕掛けをソウズ(添水)と呼んでいたことと関連するのかもしれない。
 こうした名前だけから案山子のような生活のなかの小さな設えの歴史を探るのは容易ではない。小島瓔禮(よしゆき)の『案山子系図』(一九六二年)は、案山子の方言名だけではなく、その様式や機能にも注意して、その系譜を探ろうとした研究である。この書物はガリ版刷りのわずか五〇頁のもので、神奈川県立高校の定時制の文化祭における郷土研究部の報告が母胎であった、とあとがきには記されている。しかし、内容は高水準で民俗学的方法による案山子研究の書としては今日でも参照に値する好文献である。かつての高校での文化的活動のレベルの高さがしのばれる。
 この小島の研究では、田畑の守りのシンボルとしての案山子の性格に注目し、長野県を中心に伝承されてきた案山子祭を取り上げている。秋に田から案山子を持って来て餅を供えて収穫の感謝をするのが案山子祭であるが、群馬県吾妻郡六合村入山では、正月十四日のモノツクリの晩にヌルデの木の皮をはいで目鼻を描いたり、「案山子神」などと文字を記して神棚に上げて朝夕に作物の安全を祈ったという。こちらは収穫ではなく、作物の出来が良いことを祈る予祝の意味を持っている。案山子は豊かな稔りへの期待を受け止める存在でもあった。
 動物や鳥たちは、人間の姿かたちだけをとりわけ恐れるのではない。案山子の方言名にもあるように、匂いや煙だけでも充分に防除に役立ったのであるから、わざわざ人形すなわちヒトガタにするのは別の意味があった筈である。案山子といえば人形を想起するのは、田畑の仕事を見守る存在への独特の嗜好に他ならない。小島は『案山子系図』のなかで、草人形が神の形代(かたしろ)であったことを指摘しつつ、案山子と田の神、さらには水神との関連を示唆している。
 近年では各地で案山子祭と称して、さまざま工夫をこらした人形をこしらえ、その技巧だけではなく、風刺や諧謔を競うことが盛んである。なかには田畑に立てることを想定していないかのような作品も見受けられる。人形に人間の意志を込める伝統は、生産の場を離れて自由に飛翔する方向へと進んでいるようである。
 
 


  目ン玉に力の残る捨案山子   町淑子




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