第32回 2010/09/21

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   群雀鳴子にとまる朝ぼらけ    虚子 
                 明治二十四年五月

 『年代順虚子俳句全集』によれば、この句が明治二十四年五月と一番若いころのもの。
 句意としては群れた雀が鳴子に留まっている朝の風景。単純な写生。いわばデッサンのような写生の句であった。
 しかし、『年代順虚子俳句全集』の「朝ぼらけ」の句の隣にちょっとばかり異質な句が見える、

  朧夜や我も驚く案山子かな  虚子

 どこかで見たような句ではなかろうか。

  怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜  明治二十九年

 この句はいわゆる「神仙体」として出自も意味も異なるが、それらのスタンダードモデルこそがおそらく「案山子」の句であろう。

 この頃虚子の父が没した。そのためか哀愁が漂っている。そして、これらの句を作りつつ同年の十月に俳号を「放子」と称している。
 「ほうし」とでも読むか。語彙としては、「放」には「はなつ」「はなす」「いたる」「依る」「倣う」とかがある。その「子」であるのだから、一般的に最も素直な解釈であれば、「俳句を倣う(習う)弟子」くらいの意味であったか。
 同年の十月二十日にはもう子規によって「虚子」の俳号を授かっている。
 その虚子の俳号になってからというもの、虚子の俳句もまた習い弟子のようなものからはかなり異質な、その名の通り虚と実を織り交ぜたような詩の世界へ入り込んでゆく。

 それが証拠に、子規はこの句のことを後に言う。
 「稍其熱情を現はせるを見る、二十七年は虚子が始めて詩神の幻影を拝したる時なり、俳句乳臭を脱して漸く老成の域に進まむとす、平易の中に趣味を寓する処に於いて既に碧梧桐を超えたり」
 ここに来て、虚子は子規のお墨付きをもらう。だから、「朝ぼらけ」の句から「恋衣」の句(明治二十七年、前出)までは「放子」から「虚子」までの永遠に近いような距離がある。

 ところがである。
 「朝ぼらけ」のような、うまくもない、捨てて惜しくもない、乳臭い郷愁しかない、馬鹿らしい句のほうにやがての虚子の凄みを感じる。
 『五百句』には虚子の代表作だと言われるものが多いが、はたしてそれらは「朝ぼらけ」の句のように、純写生の句というものは案外少ない、

  春風や闘志いだきて丘に立つ
  白牡丹といふととへども紅ほのか
  ふるさとの月の港をよぎるのみ
  大いなるものが過ぎ行く野分かな

 虚子の写生とは、「朝ぼらけ」に見られる単純デッサンを原点にスタートしたのだが、いつの間にかどんどん写生の目が深くなってゆく。


(c)Toshiki  bouzyou
前へ 次へ  今週の高濱虚子  HOME