第51回 2011/2/15

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   啓蟄の土をうるほす雨ならむ     虚子
  昭和五年四月十一日 
  東大俳句会。丸ビル集合室。会者、たけし、花蓑、橙黄子、青邨、素十、風生、水竹居、
  あふひ、漾人、耿陽、蚊杖、椎花、秀好、みの介、としを、草田男等二十八名。

 東大関係者の俳句である。
 いつものメンバーだが、この中に長男の高濱年尾が入っている。「としを」である。
 としをは、大正十一年ころからやや前向きに俳句をやっていたと思われるが、その後あまり俳句会に出ていない。
 昭和元年に旭シルク株式会社に入社するために、多忙のゆえかその後もあまり俳句は活動的とは言い難い。
 としをは、昭和二年に上田喜美と結婚し、翌年には坊城中子が生まれている。当時は西宮に居り、その後横浜へ転勤、神戸支店を経て昭和十二年に退社している。いわゆるサラリーマンであって、それどころではなかったろう。
 昭和十年ころからは『猿蓑』の考察や、武蔵野探勝会に参加しはじめる。
 やっと、虚子の元で俳句に専念する気構えが起こってきたということだ。しかし、当時すでに三十五歳で三人の子持ちの親爺としては、俳人としてかなり遅咲きの感はぬぐえない。
 もっとも、代表句の、

  秋の蚊の灯より下り来し軽さかな     としを
  遠き家の氷柱落ちたる光かな

 などは、初期の大正七年、九年の作品だから、それ以前に結構燃焼してしまったのかもしれない。
 
 掲句はまことに平明で余韻が無い。
 たまに、というか結構虚子はこういう句を作る。
 この場合、東大俳句の生真面目な面々が、その選句において、この句しか採らなかったのであろう。虚子はしぶしぶその他の佳句を抹消してしまったようだ。
 『虚子俳句全集』や『句日記』などから虚子の句を抜粋するにも限度がある。
 虚子はノートブックのようなものに俳句を書き付けては、俳句会などが終わると余計な句はそのまま捨ててしまっていた。
 おそらく、膨大な未完成句や入選しなかった句が散逸したと思われる。まことに、惜しい気がする。
 錚々たる、東大俳句会のメンバーももっと心して虚子の句を選句してもらいたいものだ。

 

(c)Toshiki  bouzyou

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