第72回 2011/7/12

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   一を知つて二を知らぬなり卒業す     虚子
        昭和十年三月十二日
        笹鳴会。丸ビル集会室
        

「笹鳴会」とは昭和四年に「ホトトギス」大会の折り、テーブル席の名が「笹鳴」であったことを発端とする会。婦人句会であり、星野立子・本田あふひ・今井つる女等のメンバーで始まった。
 名の通り、初心者あるいは初心に返って俳句をしようとする雰囲気がある。その席に虚子がこのような句を出したことにはなんらかの符丁をかんじざるを得ない。
 「一を聞いて十を知る」ではないが、俳句とは鍛錬の積み重ねであることを近親者には特に口酸っぱく言い伝えてきた虚子である。
 
 もっとも近い者である年尾もまた例外ではない。その道程には、いくつかの秀句があるが、はたして虚子は暖かく且つ厳しい眼でそれらを見通していた。

●「初学の時代」・キラリと光る門前の小僧 大正七年・十八歳
  秋の蚊の灯より下り来し軽さかな   

●「小樽時代」・俳句はするもののバンカラ大学生 大正八年〜十三年・二十歳〜二十四歳
  雪空を落ちくるものもなかりけり
  遠き家の氷柱落ちたる光かな
  肩より足へ単衣の縞の走るよし

●「専門俳人時代」・虚子に俳句への態度を叱咤されて  昭和十年〜十五年・三十五歳〜四十歳
  秋風や竹林一幹より動く
  わが橇の馬が大きく町かくす
  東山低し春雨傘のうち

 そして、虚子没後から経て二十年。脳血栓を発病した年尾は、川崎市の稲田登戸病院の部屋において、なお一生徒のように虚子という先生への尊敬と恋慕を示す句によって終焉を迎えることとなる。

●「病床時代」・最期の時 昭和五十四年・七十九歳
  吾一人落伍をしたる虚子忌かな





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