神々の歳時記     小池淳一  
       水平線
2010年1月15日
【36】道祖神のかたち

 正月の十五日前後、いわゆる小正月は、現在では正月気分がすっかり消える頃合いであるが、かつては年頭の大正月と並ぶ大きな節目であった。改めて餅をつく場合もあったし、繭玉を飾ったりして、「女の年取り」「女正月」などという言い方もあった。
 行事としては左義長、トンドなどと呼ばれている火祭りがこの小正月の時期に各地で行われる。正月の飾りや書き初めをこの火に燃やすことにより、天に返すとか、祓い清める、といった感覚をそこには見出すことができる。
 福島県南郷村教育委員会による『奥会津南郷の民俗』(一九七一年)には、この正月十五日の行事として若い衆(青年たち)が山から大木を切り出して雪が降り積もった田にオンベと呼ばれるものを組み立てることが記されている。夕方になると、これに火をつけ、餅をあぶって食べたり、火の周りで厄年に当たる者を胴上げしたりしたという。胴上げも厄祓いの方法であったことがわかる。
 こうした小正月の祭りの中核となるカミが道祖神である。このことはさまざまな意味で興味深い。普段は路傍にぽつんと祀られているものが、子どもたちや青年団によって火祭りの中心に位置づけられることが多いのである。
 静岡県伊豆地方をはじめとするいくつかの地域では、小正月の火祭りについて、疫病神と道祖神とを関連させた伝承がある。それは疫病神が新しい年に病気にする人の名を記した帳面を道祖神に預けているので、道祖神ごと燃やしてしまうのだとか、あるいは道祖神が、疫病神に帳面が火事で燃えてしまったと言い訳をするために積極的に火祭りをしなければならない、というものである。
 ここには、神仏は社殿や堂舎の奥深く丁寧に祀られるべきだ、という感覚とはかなり異なり、エネルギッシュな感じさえ漂う民俗的な祭祀の伝統が表れている。
 道祖神はドウロクジンとかサイノカミ(塞の神)などさまざまな呼び方があるが、そのかたちもまた多様である。最も普遍的なように思われるのは双体道祖神と呼ばれるタイプのもので男女が寄り添うかたちで刻まれている。しかし伊豆地方では尼さんのような姿のものをかなり多く見かけることができるし、単体で刻まれる地域もまた多い。
 ユニークなのは山梨県に広く見られる丸石を道祖神として崇めるもので、単体のものや「道祖神」と文字で刻まれているものと一緒に祀られる場合もある。また縄文時代の石棒やそれによく似た男性器をかたどったものを道祖神として祀る地域も少なくない。
 近年では相模民俗学会の『民俗』199・200号や西郊民俗談話会の『西郊民俗』200・201号がいずれも合併号として増頁した上で道祖神特集を組んでいる(いずれも二〇〇七年)。道祖神研究は民俗学のなかでも古くて新しいテーマであることがわかる。
 なかでも『西郊民俗』200・201号の近江礼子「茨城県の道祖神信仰」では地名や神社名、石塔などに注目した上で、子授け、安産の祈願が道祖神に寄せられていることが報告されている。近江によれば、下妻市高道祖の高道祖神社では、旧暦一月十四日に当番の氏子たちが紅白の餅で作った「塞り棒(さやりぼう)」が頒布される。これは白い餅で男性器をかたどり、赤い餅で女性器をかたどったもので、夫婦円満、子授けに御利益があるという。道祖神の性格が性器のかたちに象徴的に示されているのであろうか。石棒などを道祖神として祀ることとの関連からも考察していきたい問題である。
 道祖神は境界の神であるとされることが多いが、それは村境などの空間的な境界に関わるだけではない。正月という時間の境界に、さらには生命の誕生という観念的な生死の境界にまで関わっている神なのである。
 
 


  どんどの火消え道の神また眠る   宮津昭彦






       水平線


(c)zyunichi koike
前へ 次へ






戻る  HOME