神々の歳時記     小池淳一  
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2010年6月1日
【45】夜の水音

 梅雨が過ぎ、汗ばむ頃になると、涼しい夜半になってから洗濯をしても、明け方までにはすっかり乾いてしまうようになる。あるいはかつての農作業が幾重にも人々の手仕事にのしかかっていた時代の夏の農繁期には、昼間のうちに洗濯をするゆとりなどない場合も少なくなかっただろう。
 夜半に水音を立てて衣類を洗うのは、生活に追われてのこととだから、涼味一辺倒ではなく、気ぜわしく、また、気だるさとも無縁とは言えない。明るい日の光が満ちている昼間の洗濯とは異なった情感がそこにはある。
 民俗研究では、夜の間の奇妙な水音は何か人間以外の何物かが、わざと発するのだとする伝承に注意がはらわれてきた。「信州諏訪の狸と狢」と題された有賀恭一の報告によると、上諏訪のある老人が晩に町に用達に出かけようとすると、先立って小僧が前を歩いている。暗いのに、その小僧が着ている着物の縞柄や履き物がはっきりと見える。「小僧、どこへ行くや」と声をかけると返事もなく、姿が消えてしまった。老人が町から戻ってくると、小僧が消えたあたりで、小豆を洗うようなシャキ、シャキという音が聞こえた。この老人は自分が普段から狸や狢の類をいじめるので仕返しされたのだろうと話したという(『郷土研究』七巻三号、一九三三年)。
 同じ信州北安曇郡小谷郷のかつての神城村佐野坂近くの古い杉木立のあたりでは、その名も「小豆洗い」が「砂投げ」とともに出ると言われていた。「小豆洗い」でも出そうな薄気味の悪いところを子供が通るとき、バタバタッと一気に駆け抜けようとするので、自分の草履の砂がかかるのだ、という説明をする人もあったが、その正体は狢であると考える人の方が多かったようである(小池直太郎『小谷口碑集』、一九二二年)。
 「小豆洗い」の正体は狢ではなくてヒキガエルであるという伝承もあった。福島県下ではヒキガエルが背中と背中をすり合わせると、その疣がすれ合って小豆を洗うような音を発するのだと考えられていた(蒲生明「妖恠名彙」『民間伝承』四巻二号、一九三八年)。いかにもヒキガエルの疣は音を発しそうなかたちをしているが、実際に背中をこすり合わせるようなことはないだろう。
 夜間に水際で奇妙な音を聞くことがあり、それは「小豆洗い」と呼ばれ、狢や蛙が人間を惑わすためにおこなっているのだと信じられてきた。さらにその奥底には、その水音は他の何物でもなく、小豆を洗ったり、といだりしている音なのだと信じられてきた。人智で解釈できない不思議な音を小豆に結びつけた心意は、今では説明できないのである。
 かろうじて、小豆そのものがハレの日の食材であり、めでたい儀式に際して、米だけではなく小豆を一緒に炊いて、ほのかな赤みを付け加えてきた伝統との関連が想起される。小豆を洗う音は、ハレの日を迎えるための音に他ならない。「小豆洗い」という妖怪めいた言い方の以前には、ふだんと異なる行事や儀礼とそれを見守る神霊に対する鋭敏な感覚があったのではないだろうか。
 こうした音とそれにまつわる伝承には、不気味なだけではなく、長い時間のなかで織り込まれてきたハレを形作る感覚が脈打っているといえるだろう。

   夜濯のひとりの音をたつるなり   清崎敏郎
 

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