神々の歳時記     小池淳一  
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2010年6月15日
【46】災厄とのつきあい

 天候不順や病虫害など、農業にはさまざまな障害とその要因があり、それらをどう防ぎ、被害を最小限に食い止めるかが大きな課題であることは今も昔も変わらない。かつては夏にさしかかる時期に、そうした災厄を追い払おうとする意図の行事や祭りが各地で行われてきた。
 初夏になると北関東の各地ではギオンとかテンノウサンと呼ばれる行事が盛んに行われてきた。ギオンは祇園であり、テンノウサンは天王さんである。どちらも祇園社の祭神である牛頭天王を親しみをこめて呼ぶ言い方である。御輿を担ぎ出し、村はずれや、海や川のほとりまで賑やかに巡行するのが、この行事の大まかな姿であるが、そこには田畑の病虫害や流行病などの災厄を強力な神の力で追い払ってもらいたいという願望が見え隠れしている。牛頭天王が神道ではスサノヲに付会されるのも、荒々しい神格という点で共通するものがあるからに違いない。
 茨城県下では六月にはこうしたギオンやテンノウサンの祭りが各地で行われていた。県下の年中行事を広く見渡した今瀬文也の『季節の習俗(中巻)』(一九九一年)によると、行方郡麻生町蔵川では六月十四、十五日、十王町黒坂は六月七日、つくば市島名は十五、十六日、岩井市辺田は十五日〜二十四日まで、波崎町明神町は十五日、結城市小塙では十一日から十八日、古河市中田町は七日から十五日といった具合に県内のどこかの町や村で、御輿が出ていた。
 その多くは、単に御輿が巡行するだけではなく、特別に調理した饅頭や赤飯が供えられ、村のはずれなどで、厄災を追い出し、二度と戻ってこないようにという祈祷が行われた。こうした素朴な祭りも、遙かに源流を遡れば、京都八坂神社の祇園祭とつながるのであろう。しかし、そうした起源とは関係なく、農村の初夏を飾る彩りであり、子どもたちの大きな楽しみであった。
 災厄を払い除けるために、人びとはさまざまな神仏に対して祈願を寄せたのだが、そういった神仏は民俗研究では強い力を持つ御霊(ごりょう)とされることが多い。そうした御霊はきちんと祀ればいいが、祀りを怠ると恐ろしい災厄をもたらすと信じられていた。農作物の健やかな成長を祈るこの時期は、御霊を祀る季節でもあった。農作業と直接結びつかない町場や都会においても華やかな祭礼が、夏を本格的に迎える前に行われるのはそうした御霊信仰の発現と解していいだろう。
 より直接的に病害虫を送り出す行事として「虫送り」を行う地方も少なくない。特に西日本では、「実盛送り」とか「実盛さん」と称して、田植などが済んだあと、藁などで「実盛」と呼ばれる人形を作って、それを村の外へ賑やかに送り出すことが広く行われた。この場合のサネモリは、害虫を連れ去る力を持つとか、害虫そのものの総称であるとされてきた。「実盛」とは源平合戦の時の老将、齋藤別当実盛であると言われるが、田植に関する民俗にはサオトメ(田植に従事する女性)やサナブリ(田植の後の祝宴)、あるいはサンバイ(田の神)のように、サの音が稲作をめぐる神霊と結びついているという見解もあって、戦場に散った老将を御霊のように考えることに拍車をかけたと考えられている。
 実在の人物もやがてはこうした民俗的な心意のなかに取り込まれ、行事のなかに受け継がれていく。そうした神霊観は宗教とはやや異なる素朴な行事や祭礼の伝承のなかに生き続けているのである。

   実盛虫送りし月の瀬鳴りかな   宮岡計次
 

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