第60回 2011/4/19

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   襟巻の狐の顔は別に在り     虚子
        昭和八年一月十二日
        七寶会。松韻社にて。日比谷公園散歩


 どう考えても、この句はおもしろい。
 虚子の句の中でも、一二を争う諧謔句として『五百句』にも採用されている。
 今時に狐の顔付きの襟巻きを召しておられるご婦人は見あたらない。しかし、当時は有楽町あたりの女性のおしゃれとして、この手の襟巻きが流行していた。モガの残滓とでも言おうか。
 筆者も、一二度は街でこの手のものを見たことがあるし、家の古き箪笥にもかつてあったような記憶も。しかし、現代ではほぼ絶滅したファッションと言える。
 「七寶会」とは、宝生流の能楽師たちの句会。虚子はことのほか、能を愛し、その役者たちも俳人となった。
 もともとは、宝生流の能楽会そのものもこの名前であり、現代でも続いている。もっとも今は「七宝会」と現代漢字で表記される。
 その謂われは、松本 長などから来ているようで、彼の自宅のことを「松韻社」と称し、日比谷公園のそばにあった。そして、そこで句会が開かれていた。
 
 日比谷公園を散歩していたのだから、当然これはその時の吟行句である。
 狐の顔は、おそらく婦人の肩から背中あたりに鎮座。したがって、虚子はその正面からお顔を拝見して写生したものだろう。
 可笑しいのは、どう考えてもそのご婦人も狐のような顔をしていたと思ってしまうことだ。狸のような顔でも結構だが、それではツンツンとした貴婦人然とした美人の顔はでなくなってしまう。
 ありえないことだが、熊のようなお顔では怖すぎる。

 余談だが、宝生流の先の宗家の宝生英照氏は小学校からの同級生であった。彼は近年、残念なことに亡くなったが、ご自宅でよく一緒に遊んだものだ。
 父は、かの宝生英雄。そのご自宅の立派な能舞台の横で泊まらせていただいた記憶もある。
 クラスの出席番号が「ホウショウ」で十八番。「ボウジョウ」が十九番だから、何かと近く、背格好も似ていて、よく皆に笑われていた。
 
 もう少し長生きしてくれたら供に俳句ができたであろうに。



(c)Toshiki  bouzyou




前へ  次へ  今週の高濱虚子  HOME