第76回 2011/8/16

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹


【番外編】

   白牡丹といふといへども紅ほのか     虚子
        大正十四年五月十七日

 いわずと知れた虚子の代表句であるが、この句を見るにつけいつも次の句を思う。

  牡丹散て打ちかさなりぬ二三片    蕪村

 むしろ、蕪村の句のほうが写生句として正統であり、虚子の掲句こそは写生を超えた客観描写の域に達している。あるいは不可思議である。
 子規が生きていたなら、まさしく蕪村の句を賞賛したであろうし、虚子の句には和歌的な古典を感じたとも思える。
 この、時間軸としては後退したとも思える掲句と蕪村の句とは写生観としての逆転が見られることがおもしろい。

 ところで、子規は俳句の写実を考えるときに蕪村の句とともに、ツルケーネフの『あひびき』の二葉亭の翻訳にも写実的あるいは近代的日本語を見たと関川夏央が『子規最後の八年』で触れている。

 「森の中にいる人に映じた風景を描写したその冒頭近い部分はこのようであった、
『自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽かに戦いだが、その音を聞いたばかりで季節は知られた。それは春先する、面白そうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌りでもなかったが、只漸く聞取れるか聞取れぬ程のしめやかな私語の声であった』『ああ秋だ!誰だか禿山の向うを通ると見えて、空車の音が響きわたった』
 文体、用語、センテンスの長さ、そのセンテンスを統御する句読点。二十四歳の二葉亭がしるした文章すべてが画期的であった。
 いま私たちがそのあたらしさに驚かないのは、二葉亭の翻訳文を範として近代日本語表現が成立したからである。二葉亭の試みの、さらにその先へ進もうと苦闘した子規、漱石の文体を自明としているからである」
 蕪村が天明の時代に、先のような写生的な言葉を用い、子規はその蕪村のそのような発句を再評価し、明治二十一年にツルケーネフの翻訳としてこのような言葉を二葉亭が用い、それをさらに子規や漱石が新しい言葉として写実的な言語として確立していった。
 ゆえに、現代人はそれらの俳句や文章を古めかしいとも新しいとも思わずごく普通の言葉と捉えるという観点は重要である。
 それにたいして虚子の掲句はまことに、その時空を逆行した真新しさに満ちている。というより、写生の深化による客観描写によって、明治近代化以降の時空の変化を無意味に、写生を巨大な無意味性にしてしまったのではなかろうか。





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